ススメを養子に迎えてから、早六年が過ぎた。
ススメは十二歳となり……ユキが、死んだ。
抜けるような晴天とは、今日のような空を指して言うのだろう。
雲一つない、青々とした空を、ススメは見上げている。
そこに雲があったなら、それは兎の形をしてススメの目に映ったのだろうか。
優しい色をした春の空が、少しでもススメの心を慰めていればいい。
「ねえ、おじさん」
こちらを向くことなく、ススメはコクヘキに話しかける。
答えを期待しているのかどうか、彼女の横顔からはうかがい知れない。
「ユキは、しあわせだったかな」
震える声で、問いかけてくる。
悲痛で、寂しげで、あきらめも含んだ、複雑な思いのこもった声だった。
コクヘキが言葉に迷っていると、ススメは目の前の、庭に作ったユキの墓に目を落とす。
「わたし、ユキをちゃんと、しあわせにして、あげられたかなぁ」
声と一緒に、ぽろり、ぽろり、と涙もこぼれ始めた。
透明なしずくに動揺してしまいそうになる自分を叱咤する。
今、誰よりもつらいのはススメだ。
コクヘキはススメを支えなければならない。
「大丈夫だ」
しっかりとした声で、コクヘキは断言する。
なんとか動揺を隠しきることができた。
「だんだん、ユキの考えてることがわかんなくなってっちゃったの。
成長すると、違いがおっきくなっていくから、なんだって。
わたしが子どものままなら、ユキが具合悪いのも、気づいてあげられたのに……」
「気に病むな。
元々、ユキも年だった」
ユキはススメのいた孤児院で飼っていた兎だ。譲り受けたときにはすでに生まれて数年が経過していた。
もっと早く別れが来ても、おかしくはなかった。
むしろ、長生きしたほうだろう。
ただの動物であるユキは、ススメと同じ速度では生きられない。
一人と一羽の間には、寿命の違いが横たわる。
……それは、魔界の種族差にも言えることだった。
「悲しくて、悲しくてしょうがないの。
おじさん、どうすればいい?」
涙に濡れた瞳が、コクヘキを見上げる。
ズクズクと、胸が痛みを訴える。
己はなんと非情なのだろう、とコクヘキは思う。
ユキが死んでしまったことよりも、ススメが泣いていることのほうが、コクヘキにとってはつらいのだ。
喜びも悲しみも痛みも、ススメがもたらす。
彼女と暮らすようになってから、コクヘキは久しく忘れていた感情を揺り動かされていた。
今はただ、悲しみに心を染めたススメを、慰めてやりたい。
慈愛とはこういった思いを言うのだろうか。
「好きなだけ泣いてやりなさい。
それがユキへの手向けになるだろう」
力なく垂らされた耳には触れないよう、小さな頭をなでてやる。
泣くな、と言うことは簡単だ。
だがそれでは、いつまで経っても心のしこりはなくならない。
涙は悲しみを溶かし、癒してくれる。
ユキの死を乗り越えるために、今は涙が枯れるまで泣けばいい。
獣人ではなく、子どもでもないコクヘキには、ユキの思考など理解できるはずもない。
けれど、ユキが心からススメを信頼していたことは、見ていればわかった。
ススメが本当にユキをかわいがっていたことも、一人と一羽が姉妹のような関係を築いていたことも。
大切な存在の喪失は、とてつもない痛みを伴う。
死は、誰にでも平等に降り注ぐ。
別れを、別れの痛みを、ススメは知っておかなければならない。
その痛みを癒す手段も。
「ふ、ふぇ、ふぇぇええぇんっ!!」
ススメはくしゃりと顔を歪ませ、泣き声を上げながら抱きついてきた。
子ども特有のかん高い声を、不快に思うことはなかった。
ただ、ススメの痛みが和らぐようにと。
今すぐには無理でも、ユキと過ごした日々を、きれいな思い出にできるようにと。
華奢な背をなでながら、コクヘキにはそう願うことしかできない。
「気がすむまで泣け。
すべて受け止めてあげるから」
コクヘキの言葉に、ススメの泣き声はさらに激しくなった。
これではしばらく泣き止むことはないだろう。
身体は大きくなってきていても、まだまだ子どもだ。
小さなぬくもりを抱きながら、コクヘキはある願いを抱く。
「お前は……」
お前は、死なないでくれ、と。
言葉にはせずに、心の中でつぶやいた。
いつか、コクヘキとススメにも、永遠の別れが来るだろう。
鬼族のコクヘキは獣人のススメよりも寿命が長いが、今の年を思うと、きっと置いていくのはコクヘキのほうだ。ススメが早死にさえしなければ。
コクヘキは、ススメを永遠に失う痛みに耐えられるとは思えない。
それだけ、この小さないのちを愛してしまっているという自覚がある。
できるだけ長生きしてくれればいい。
そして、いつか来る命の終わりに、こうして涙を流してくれたなら。
それだけでコクヘキは幸福に逝けるのだろうと、ススメには決して言うことのできないいつかを思い描く。
こんなに惜しんでもらえるユキを、少しうらやましく思ってしまったことも。
ただ純粋に悲しむススメには、絶対に言えなかった。