沈黙が重い、という表現はよく使われると思う。
日本人が空気を読む民族だからか、誰も話さないという状況を重く認識してしまうんだろう。
そして私は、その重い沈黙とやらを、現在進行形で体験している。
目の前には幼なじみの景。赤ちゃんのときから一緒に育ってきたから、空気のように傍にいるのが当たり前の存在。
ここは私の部屋。別に景が理由もなく遊びに来るのもいつものことで、そこは今はどうでもいい。
問題なのは、私が景に押し倒されている、というこの状況なんだけれども。
他に何もできずに、私は景を見上げる。
切れ長な瞳。真っ黒で、吸い込まれてしまいそうな色。
整った顔立ちをしているほうだとは思うけれど、見慣れているせいで美形かどうかなんてよくわからない。
景は無表情で、何も話すことなく、ただ私を見下ろしている。
それがなおさら恐怖をあおる。
誰か助けてください。
この沈黙を破ってください。
お兄ちゃんでもいい。お母さんでもいい。この際天国のお祖父ちゃんでもいいから。
空気を読まずにこの場に乱入してきてください。
そんな私の願いを叶えてくれる人はいないらしく、景に押し倒された体勢のまま、もう五分以上経過している。
……というか、どうしてこうなったんだっけ?
そうそう、たしか景と同じ部活の先輩が格好いい、という話だった。
今度、景をダシにして部活を見に行こうかな、と。
冗談交じりに私が言ったんだった。
そしたらいきなり腕をつかまれて、床に引き倒された。
何すんのと文句を言おうとしたら上に景がのしかかってきて、現在に至る。
……訳がわからない。
「け、けい……」
やっと出せた声は、恥ずかしいくらいに震えていた。
それでも重い沈黙を破れたのでよしとする。
このままどいてもらえるように景を説得しよう。
と、思ったのに。
ずっと微動だにしなかった景は、私が声をかけたことで動き出した。
私に顔を近づけてくる。
おい、何をする気だ君は。ま、まさか、きききき、キスというやつではなかろうな!?
頭が混乱していて、目が回りそうだ。
「……春」
「は、はいっ!」
呼ばれて、裏返った声が出る。
ああ、もう、沈黙していたほうがまだマシだったかも。
間抜けな声にいたたまれず、そんなことを思う。
「先輩が好きなの?」
感情を抑えたような低い声。
なんのことを言っているのか、すぐには理解できなかった。
先輩? 先輩って誰のこと?
ついさっきまで話していた内容をなんとか思い出し、景の部活の先輩のことだと思い至る。
「や、好きかと言われると……格好いいなぁ、くらいで」
ミーハー的な思考というやつだ。
友だちには景のほうが格好いいじゃないか、と言われたけど、近くにいるとありがたみも薄れる。
格好いいとさわぐなら、近くの美形より遠くの美形だ。
すぐ近くにあった顔が、さらに近づいてくる。
もうあと数センチしか距離がない。
息のかかる距離に、呼吸をすることすらためらわれる。
幼なじみといっても、この距離は近すぎる。
「……もう、無理」
景は眉をひそめ、そうこぼした。
何が無理なのか、私にはまったくもってわからない。
ふう、と景は小さく息を吐く。
ため息をつきたいのはこちらのほうだ。
数センチしかなかった距離が、ゼロになる。
避けるよりも早く、景の唇が私の唇のすぐ横に落とされた。
一瞬ホッとしてしまって、すぐにそんな場合じゃないと気づく。
マウストゥマウスじゃなくてもキスはキスですから!
「覚悟して、春」
景はそう言って、かすかに笑った。
バクバクとうるさく鳴る心臓に、静まれ、と念じる。
幼なじみは幼なじみで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
……これまでは。
どうして景がいきなりこんなことをしたのか、何を覚悟すればいいのかも、私にはわからなかったけれど。
破られた沈黙は、これまでとは違う私たちの関係を暗示しているようで。
たしかに、覚悟とやらは必要なのかもしれなかった。