チュンチュンという小鳥の鳴き声に、私はまどろみから目を覚ました。
まだ室内は微妙に薄暗い。日が昇ったばかりかなぁ。
ゆるく私を抱きしめている腕に、無意識に安堵の笑みがこぼれた。
素肌が触れ合う感覚に、照れよりも安心感を覚える。
隊長さんの胸は広くて、隊長さんの腕は力強くて、隊長さんのぬくもりはあたたかくて。
どれもどれも、大好き。
そろそろと顔を上げると、すぐ近くに隊長さんの顔があった。
おお、ドアップ。そんなにめずらしくもないけれど。
でも、寝ている隊長さんを見るのはけっこうめずらしいんだよね。たいていいつも先に起きてて、ベッドから降りてる日だってあるし。
隊長さんの寝顔が拝めるのは、こうして私が早起きしたときだけだ。
そう思うと、なんだか無性にイタズラ心が刺激された。
起こさないように慎重に、もぞもぞと動いてさらに顔を近づける。
「……グレイス」
名前を呼んで、ちゅっ、とキスをした。
イタズラって言うにはちっちゃすぎるけど、したくなったんだからしょうがない。
何気に敬称をつけずに呼ぶのって初めてかもしれないなぁ。
全然慣れないし、起きてるときには呼べそうにないけど。
いつか、たとえば、私が隊長さんの奥さんとかになることがあったりしたら、そう呼ぶようになるのかもなぁ、なんて。
そんなこと考えながら顔を離したら、ダークブルーの瞳とバッチリ目が合った。びっくり仰天。
「お、起きてたん、ですか……!?」
「いや、はっきりと目が覚めていたわけではないんだが」
そう答えながら、隊長さんは片手で顔を隠す。わずかに赤くなっていたからだろう。
私のほうが照れたいんですけどおおおおお!!?
「うううううエロ本読んでゲヘゲヘしてるとこ親に見られたような気分……!」
「す、すまない」
「謝らないでええええ立つ瀬がないじゃないですかあああああ!!」
ゴロゴロと意味もなくベッドの上を転がる。布団を身体に巻きつけると芋虫の完成だ。
芋虫って蛾とか蝶の幼虫の総称だから、固有名詞じゃないんだよね実は。いやいや今はそんなこと関係なくて。ああもう混乱しすぎだ私!
「……その、ですね」
芋虫状態から、ちらっと視線だけ隊長に向けてみる。
隊長さんは私と目が合うと手をどかして、真剣な表情になった。
あ、私がちゃんとお話ししようとしたこと、わかってくれたんだなぁ。
何も言わなくても察してくれるのがうれしいし、それだけ一緒にいたんだなって思うと感慨深いし、それだけ隊長さんは私のことを見てくれてるんだなって思うと、照れくさい。
「わがままを言ってる自覚は、あるんです。隊長さ……グレイスさんに甘えすぎてる自覚も。だから、ちょっとずつでも、歩み寄っていきたいな、って私も思ってて」
昨日、私は自分の主張ばかりを押し通した。
いつか、向こうの世界への未練がなくなる日を、待っていて、なんて。
本来なら、隊長さんはあんな要求を呑む必要はなかった。
面倒くさい女だなって、ぽいってされても不思議じゃなかった。
でも隊長さんは生真面目で誠実で、なんでだかわからないけど私のことをすごく好きでいてくれているみたいで。
甘えても、許してくれてしまう。私のために我慢をしてくれてしまう。
求めてくれた見返りだって、普通の恋人だったら当たり前の願い。
私にばかり都合がよくて、なのにそれでもいいって、隊長さんは言ってくれる。
そんな隊長さんに、なんにも返せないのは嫌だなって思うのは当然だよね。
「……うまく、言えませんけど」
ちゃんと伝えられたか自信がなくて、つい視線を下げた。
白いシーツは寝る前に隊長さんが取り替えてくれたから快適だ。もう夏というより秋に近いから朝は涼しいし、布団にくるまっていても暑くない。
……気づいたら、この世界に来て季節が半周していたんだなぁ。
「いや……ありがとう」
隊長さんは顔を隠していた手を離して、お礼を口にした。
言葉を選ぶように、どこか面映ゆそうに。
「たいちょ、グレイスさんがお礼を言うのはおかしいです」
「そうでもないだろう」
「そ、そう、かな……?」
おかしい? おかしくない? もうどっちだかわからなくなってくる。
首をかしげる私に、隊長さんは苦笑をこぼす。
その表情、好きだなぁ。
私の至らないところとかも全部許してくれちゃってる顔だ。私を認めて、受け入れてくれてる顔だ。
私のこと、すごくすごく、本当に大好きなんだって、伝わってくる表情だ。
「お前に、渡そうか迷っていたものがあるんだ」
隊長さんはそう言って、ベッドの脇の書卓の引き棚から何かを取り出した。
それは手に収まるサイズのものらしい。
思わず出した手のひらの上に、隊長さんはそれを乗せた。
「これ……」
桜モチーフの、ペンダント。
銀の台座にピンク色のガラスか何かが流し込まれていて、透明感があってとてもきれいな。
いつぞや、町で見かけて……世界の違いを、思い知らされたもの。
「受け取って、くれるか?」
隊長さんの問いかけは、不安げな響きを含んでいた。
それはそうだろう。私はあの時、いらないって言ったんだから。
余計なことを、と私が思うかもしれないって、いらないと突っ返される可能性もあるって、隊長さんはわかってて、それでも。
この贈り物が、私を追いつめるためのものではなくて、私の背中を押すためのものだって、言われなくてもわかる。
「……はい」
私は笑顔で、しっかりと、返事をした。
あのときはいらないと、もう見ていたくないと思った桜のペンダント。
今はどうだろう。まだ全然、消化しきれてなんていないけれど。
隊長さんが、私のことを思ってプレゼントしてくれたことだけはわかるから、純粋にうれしさが勝った。
「つけてくれますか?」
「ああ」
ペンダントを隊長さんに渡して、背中を向ける。
ひやりと冷たい感触がして、首にペンダントがかけられた。
ありがとうございます、と言う前に。
後ろから、隊長さんに抱きしめられた。
「この世界はお前から家族を奪った。故郷を奪った。お前の、名前の意味を奪った。けれど、この花がサクラと言うのだと、俺は覚えている。絶対に、忘れない。それだけでは……駄目か」
切々とした声が、私に語りかける。私の心を揺らす。
ぎゅうっと、少し痛いくらいに強い腕の力。
私をこの世界につなぎ止めようとしてくれているみたいで、なんだか安心する。
「それだけ、なんかじゃないです」
身じろぎすると、隊長さんは腕の力を弱めてくれた。
腕の中でくるりと半回転して、隊長さんと顔を合わせる。
ああ、ほら、やっぱり。表情も、瞳も、不安そう。今にも泣いちゃいそうにすら見えるのは、私の気のせいかな。
「私、この世界のこと、嫌いじゃないです。まだ知ってることなんて一握りだけど、好きなところもたくさんあります。だって、」
気持ちが全部、丸々伝わるように、私は隊長さんに抱きついた。
力いっぱい抱きついたって、隊長さんはびくともしない。
広い背中に手を回して、胸板に頬を押しつけながら、続きを口にした。
「だって、グレイスさんと出会えました」
隊長さんは自覚してるかなぁ。私にとってどれだけ大きい存在になっているのか。
一番最初を除き、ずっといい人だった。好きになる予兆なんてそれこそ山のようにあった。
実際好きになっちゃって、後先考えずに両思いになって、今さらになって色々悩んだりしてるけど、好きって気持ちは少しも揺らいでない。
隊長さんがいなかったらどうなっていただろう、なんて、怖くて考えることもできない。
私が今、こうしてしあわせを甘受していられるのは、全部全部、隊長さんのおかげ。
隊長さんが好き、っていう気持ちは、私をちょっとずつ、でも確かに、この世界に根づかせてくれている。
「好きです。すごく好きです。どのくらいだかわからないけど、すっごく、すっごく好きです」
とくんとくん、少し早い心音が聞こえる。
隊長さんが生きている音が、ここにいるっていう証が、うれしくて、いとしくて。
やっぱり、昨日よりも一昨日よりも、もっともっと大好き。
「そういうことを言うと、期待するぞ」
「じゃあ、裏切らないですむようにがんばりますね」
大丈夫って、私の中の恋心が言ってる。
大丈夫。もっと、もっともっと隊長さんのことを好きになれるよ。
そんな声が聞こえてくる。
それならいいなぁ。もっともっと好きになりたいなぁ。もっともっと、隊長さんでいっぱいになりたいなぁ。
元の世界を、故郷をあきらめる日が来るなら。未練を捨てる日が来るなら。
それは、隊長さんを理由にしたいなぁ。
「……傍にいてくれ」
サクラ、と。隊長さんの低い声が私の名前を紡ぐ。
それだけでもう、心があたたかいもので満たされていく。
大丈夫。また声が聞こえる。
隊長さんと一緒にいれば、きっと私は大丈夫。
「ところで隊長さん、一つ言ってもいいですか」
「なんだ」
しばらく抱きしめ合っていた私たちだったけど、ふと気づいてしまった。
顔を上げた私を、隊長さんは不思議そうな顔で見下ろす。
「素っ裸にネックレスだけって……すごく……エッチです」
忘れてるかもしれないけど、今の私たちは、ほぼ裸の状態だったりして。
中途半端にシーツを巻きつけてる私と、下着だけの隊長さん。
直接肌が触れ合うのはうれしはずかし、でも心地いい、とはいえども。
裸ネックレスって……うんちょっと、その。
マニアックというか、変態というかね……!
「……まったく、お前は」
はああ、隊長さんは深いため息をつく。
それから、ふっ、と。
私が私であることを許すみたいに、笑ってくれた。
まだまだ、何も決められていない、中途半端な私ですが。
そんな私ごと受け入れてくれる隊長さんのおかげで、私は私らしく、この世界でもなんとかやっていけそうです!