結局、一人でぐるぐるしていても、何も変わらないんだ。
ということに、隊長さんを避け始めて七日目にして、ようやく気づきました。
今まで逃げていた心に潜んでいた悩みは、重くて、重すぎて、一人で抱えているのはつらい。
ビリーさんに返すことができなかった短剣が重いみたいに。
この世界で生きるってことは、私にとってはそれだけで試練みたいなもので。
それでも私は今、この世界にいるんだから、どうにか消化していかなきゃいけない。
知らないふりを続けていたら、隊長さんに指摘されなかったら、いつか限界が来ていただろう。
その前に気づけて、よかったのかもしれない。
「ということで、ちょっと私の話を聞いてください!」
と、私は意気込んで二人に相対した。
二人っていうのは、エルミアさんとハニーナちゃんのことだ。
今は三人部屋で、こじんまりとしたテーブルを囲んでいる。三時のおやつくらいだったらここで食べられるんだよね。
あ、ちなみにビリーさんに渡された短剣は、ちょっとやそっとじゃ取り出せない奥のほうにしまいこんだ。やっぱりまだ怖くて、目につくところには置いておけなかったから。
「何が“ということ”なのかの説明はないのね」
エルミアさんの鋭いツッコミに、えへへ、と私はごまかすように笑う。
一から説明してもいいですけど、長いですよ? というかどこから話せばいいものか私もわからないしね?
聞きたくもないような他人の性事情まで聞かなきゃいけなくなりそうですしね?
「ま、話してくれる気になっただけよかったわ」
ふう、とエルミアさんはため息をつく。
それってどういう意味でしょう?
私が首をかしげると、補足するようにハニーナちゃんが言葉を足してくれた。
「サクラさんと隊長さんの間に何かあったみたいだって、わたしたちも気になっていたんですけど。相談されるまでは何も聞かないこと、ってエルミアが」
「心配かけてたんですね……」
「そりゃ、いつもうるさいくらいに元気なあんたが急に黙り込んだり、物憂げなため息なんてついてたりしたら、気になるに決まってんでしょ。昼も夜も隊長のとこに行ってないみたいだったし」
「エルミアさぁぁん」
思わず情けない声が出た。
ちゃんと見ていてくれたんだなぁ。うれしいなぁ。
「わたしたち、サクラさんの力になりたかったんですよ。だから、なんでも話してください」
「ハニーナちゃぁぁぁぁん」
なんだ、なんなんだこのいい人たちは!!
私を泣かせるつもりか!!
涙目になりながら、ハニーナちゃんに抱きつきたい衝動を抑える。
落ち着け、落ち着け私! 盛りのついた男子中学生じゃあるまいし!
「それで、話って?」
脱線しかけた私を、エルミアさんが押し留めてくれた。
話っていうか……なんだろうな。
一種の懺悔みたいなものかな。
他の人に聞いてもらうことで、私の中で整理整頓したいんだ。
「……うまく、説明できないんですけど。私ってずるい女だなぁと、自覚したのです」
「ふぅん、何がどうしてそうなったんだか」
気づいたきっかけは、隊長さんの言葉からだったけど。
元から私はずるい性格をしているんだと思う。末っ子体質で甘え上手だし、自分の都合のいいように物事を考えようとする。
でもまあ、そこは説明すると長くなるので割愛するとしよう。
「私、異世界人じゃないですか。一人で、なんにも持たずにこっちに来ちゃったじゃないですか」
「そうね」
「だから、こっちの世界に来た、こっちの世界で生きる、理由が欲しかったんだろうなって、気づいて」
自分の心を見つめながら、一つ一つ、言葉を選んでいく。
精霊の気まぐれで来たなんて、信じたくなかった。
いや、ちゃんとわかってはいたけど、それでも何か他に、理由を探してしまった。
そうじゃないと、あまりに、あまりだったから。
「それが、隊長ってこと?」
「……はい」
隊長さんを理由にするのは楽だった。
隊長さんがいるから、この世界に来たことも悪いことじゃなかったって。
隊長さんがいるから、毎日しあわせだって。
そう、単純に思っていれば、嫌なことなんて考えずにすんだ。
ただ逃げていただけだって今ならわかる。
逃げていた自覚すら、持っていなかったけれど。
「よくわかんないけど、ずるいのってそんなに悪いこと?」
エルミアさんのあっけらかんとした言葉に、私は目をぱちくりとさせてしまった。
「悪いことなんじゃないですか?」
普通に考えたら、ずるいっていうのは、卑怯ってことで。
悪いというか、あまりよくないことだと思う。
たとえば正義のヒーローと悪の組織があったとしたら、卑怯な手を使うのは悪の組織のほうだ。
自分のために他人を……隊長さんを巻き込んで。そしてたぶん、そのことで傷つけていて。
とんだエゴイストだよ、私は。
「ずるい面なんて誰だって、多かれ少なかれ持ってるもんでしょ。女とか男とか関係なく」
「サクラさんは精霊の客人なんですから、むしろもっとずるくなってもいいくらいだと思いますよ。この先、問題事に巻き込まれる可能性だってあるんですから」
「ハニーナの言うとおりね」
ハニーナちゃんの言葉に、うんうん、とエルミアさんはうなずく。
二人とも、私の決死の思いでの告白を、まったくもって気にしていないようだ。
え、え、えええ。
なんだろう、この流れは。
まさか、ずるいことを肯定されるとは思ってもいなかった。
そりゃあ私だって、二人に非難されたかったわけじゃないけども。
こんなあっさりしてていいものなの?
困惑を隠せない私の手を、エルミアさんが取った。
「あんたの気持ちがわかる、なんて簡単には言えない。一人で別の世界に行っちゃうなんて、想像もできないから。でも、そりゃあ一人は怖いでしょうよ。理由だって欲しくなるでしょうよ。そんなの当然のことじゃないの?」
真剣な顔。真摯な瞳。
ちゃんと、私のことを考えてくれてるんだって、わかる顔。
想像できない、って言いながら、想像しようと努力してくれてるんだろう。
手から伝わってくるぬくもりはあたたかくて、言葉以上に伝えてくれる。
私を、励ましてくれている。
本当に……なんでこの二人は、こんなに私に優しくしてくれるんだろう。
「でも……やっぱりよくないことだと思うんです」
どうしても納得しきれなくて、私はさらに言葉を重ねる。
隊長さんはずっと私を受け入れてくれていた。
私が、心の奥底では、元の世界に帰りたいと思っていることも、家族や友だちに会いたいと思っていることも。
そういうことを考えてもつらくなるだけだから考えたくなくて、逃げるように隊長さんの傍をうろちょろしていたことだって。
きっと、薄々、隊長さんは気づいていただろうに。
「だから、隊長に申し訳ないなって?」
「……はい」
エルミアさんやハニーナちゃんが私のずるさを認めてくれたって、隊長さんに対しての罪悪感は、消えない。
あんなに優しくしてくれる隊長さんを、あんなに私を愛してくれている隊長さんを、私はずっと、裏切っていたようなものなんだ。
愛想尽かされちゃったってしょうがないようなことを私はしていた。
異世界から来ちゃったのも、もう帰れないのも、家族や友だちに二度と会えないのも、全部私の問題で、隊長さんには落ち度なんて何一つないのに。
私は今までどれだけ隊長さんに甘えてきて、隊長さんの好意の上にあぐらをかいていたんだろう。
「あたしも隊長のことそんなに知ってるわけじゃないけどさ。隊長、そんな細かいこと気にする男じゃないんじゃない?」
「細かいことなんでしょうか……」
「細かいわよ。だって、結局のところ大切なのって、好きか嫌いかでしょ? 隊長のことが好きなら、ずるかろうとなんだろうと関係ないわよ」
「そう……なのかなぁ」
エルミアさんの言葉をそのまま飲み込むことができず、私は首をひねる。
打算で好きになられて、うれしい人間なんてどこにもいないと思う。
むしろ、怒られたり悲しまれたり、下手したら嫌われたりするのが普通なんじゃないかな。
細かいことだなんて簡単に片づけられないし、好きなら関係ない、なんて一言で終わらせていいものかわからない。
「ねえ、サクラさん。サクラさんは隊長さんのことが好きなんですよね」
「大好きですよ! それは、それだけは本当です」
ハニーナちゃんの言葉に、はっきりと、私は答えた。
ぐちゃぐちゃとした思いの中で、それだけは信じられた。
帰りたい、という思いがとても大きくて、消えないものであるように。
隊長さんが好き。隊長さんと離れたくない。その思いも、すごく、すごく、大きくなっていて。
好きだから……好きだから、こんなに悩んでいるんだ。
「じゃあ、もし隊長さんがサクラさんのことを利用していたとしたら、どうしますか?」
「……それは」
私は言葉に詰まった。
その時点で、もう答えは決まっているようなもんだ。
「どうしますか?」
ハニーナちゃんは淡く微笑んで、もう一度聞く。
繰り返された問いかけは、答えをわかっていてのものなんだろう。
ハニーナちゃんの声はとても優しい響きを持っていて。
一つの答え以外、出せそうになかった。
「……利用の仕方にもよりますけど、たぶん、許しちゃいます」
「隊長さんが好きだから、ですよね」
「うん」
確認されて、私は正直にうなずく。
最初がどんなスタートだったとしても、好きって気持ちは、やっぱり変わらない。
どのくらい好きなのかとか、一生気持ちは変わらないのかとか聞かれたら困っちゃうけど。
私は隊長さんが好きで、隊長さんが大切で、隊長さんは特別だ。
自分の気持ちに嘘はつけない。
好きだから、きっとだいたいのことは許しちゃうだろう。
小隊長さんに嫉妬した隊長さんの所業を、むしろうれしいと感じてしまったみたいに。
「隊長さんも同じなんじゃないかなって、わたしは思うんですけど。サクラさんはどう思いますか?」
できの悪い生徒を教え導くみたいに、ハニーナちゃんは私の前にある道を指し示してくれる。
どう思う、も何も。
隊長さんがどれだけ私を好きでいてくれているのか、私は知ってる。
本当は、隊長さんが私を見捨てることなんてないって、ちゃんとわかってる。
今まで私のせいでどれだけ傷ついていたとしても。
それも全部丸ごと、隊長さんは受け入れてくれちゃうような懐の広い人で。
そんな隊長さんだから、私は隊長さんのことが好きなんだ。
「私は……」
なんて言葉にすればいいのか、わからない。
でも、自然と口が開いた。
そこから何かしらの答えが出るよりも先に。
コンコン、というノックの音と。
「サクラはいるか」
聞き間違えるはずのない声が、聞こえた。
私は飛び跳ねるように立ち上がり、倒れた椅子が盛大な音を立てた。
た、た、た……隊長さんっ!!?