とらわれる

 一緒にいても、それぞれ別のことをしていることもある。
 たとえば俺が仕事をしていたり、たとえばサクラが昼寝をしていたりといった具合に。
 いくら、俺には真似できない勢いで話すサクラでも、常にその調子というわけではない。
 今もサクラは、俺の隣で静かに本を読んでいる。

 俺はというと、午後の仕事に向けて書類のチェックをしていた。
 特にやらなければいけないというものではなく、手持ちぶさただったために始めたことだった。
 今のうちに目を通しておくことで、午後の仕事が少しは楽になるだろう、程度のこと。
 やらなくてもいいことだから、何か話したいことがあれば聞く、とサクラにも伝えてある。
 要は、午後の仕事が始まるまでの時間つぶしだった。

「隊長さん隊長さん、こっち向いてください!」

 サクラに袖を引かれて、俺はそちらに顔を向ける。
 何かいたずらを思いついた、と言わんばかりに瞳をキラキラとさせたサクラに、思わず眉をひそめてしまう。
 多少嫌な予感もするが、声をかけられて相手をしないという選択肢はない。
 俺は手に持っていた書類を机の上に置いた。

「隊長さんの目が回る〜、目が回る〜」

 サクラは俺の目の前に人差し指を突き出し、それをぐるぐると回しだした。
 なんのつもりかはわからないが、どうせいつもの悪ふざけだろう。
 俺は仕方なく、その指先を握って止める。
 サクラは目を丸くして、ぱちぱちとまばたきをした。
 止められるとは思っていなかったのだろう。浅はかなものだ。

「……つ、捕まっちゃいました」
「捕まえたな」

 手の中の指に視線を落とす。
 力を込めて握れば簡単に折れてしまいそうな、細くてか弱い指。
 自分とはまったく違う作りをしている。
 吸い寄せられるように、きれいな形をした爪の先に口づけると、サクラはうつむいてしまった。
 どうしたのだろうかと顔を覗き込めば、かすかに頬が赤らんでいる。
 普段は恥じらうことなく好意を示すくせに、こういうときは普通の少女のようだ。
 そのちぐはぐさも、サクラの魅力の一つだろう。

「それで、今のはいったいなんだったんだ」

 俺がそう尋ねると、サクラはおとなしく顔を上げた。
 不可解な言動は気になるものだ。
 サクラのいた世界では何か意味のある動作だったのかもしれない。

「トンボを捕るときのトラップです。目を回させて、飛べなくさせるんです」

 サクラは正直に答える。すでに頬の赤みは引いていた。
 なるほど、なんの動作なのかは理解できた。
 が、また一つ疑問が浮き上がってくる。

「どうしてそれを俺にしたんだ」
「な、なんとなく……?」

 俺の問いかけに、サクラは困ったような顔をして、首をかしげた。
 そんな顔をされたところで、サクラ自身にわからないものが、俺にわかるはずがない。
 特に理由はなかったということだろうか。
 サクラは気まぐれで、考えなしに行動に移すことも多いから、そういうこともあるだろう。
 そうか、と俺が返す前に、サクラはまた口を開いた。

「ありえないっていうのはわかってたんですけど、もし隊長さんが動けなくなったら、私と遊んでくれるかなぁ……とか。そんなこと考えてたつもりはないんですが、もしかしたらちょっとばかし考えちゃってたかもしれません」

 考えをそのまま吐き出しているようで、サクラの言葉はとりとめがなく、理解に時間を要した。
 動けなくなったら、遊んでもらえるかも。
 それはつまり、寂しかったということでいいのだろうか。
 ただ気を引きたかったと言われるよりも、何倍も衝撃的だった。

「……つまり、どっちだ」
「わかりません!」

 大真面目な顔をして、サクラはきっぱりと答える。
 正直なのはいいことだけれど、その答えは俺を困らせるだけだった。
 まだ、はっきりそうだと肯定してくれたほうが、手の施しようもあるだろうに。
 寂しさを和らげることができるような、耳障りのいい言葉を口にできるような男ではないのだ、俺は。
 もっと言えば、不意打ちで心のうちをさらけ出されて、平静でいられるような男でもない。
 胸に生あたたかく心地よい感情が満ちていくのを感じる。
 じりじりと内側から焦がされていくような気がした。

 もう少し、自覚をしてくれないだろうか。
 どれだけ俺に想われているのか、ということを。
 罠など仕掛けなくても、身動きなどとうに取れなくなっているというのに。
 もし俺が虫なら、捕らえる必要などなく、自らサクラの手中に飛んでいくことだろう。
 サクラという存在そのものに、すでに囚われてしまっているのだから。


 そんな心中を言葉にすることはできず、俺はただ、ため息をついて熱を逃がすしかなかった。






・診断メーカー『手と手の触れ合うお題ったー』
サクラとグレイスへのお題は『「仕方なく、指先を握る」キーワードは「悪ふざけ」』です。




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