夜、仕事を終えて自室に戻ると、そこには上機嫌なサクラがいた。
「隊長さん大好きー!」
サクラは笑顔でそう叫びながら、俺に勢いよく抱きついてきた。
受け止めたときにふわりと香った、アルコールの匂い。
上機嫌の理由がわかって、俺はため息をついた。
「……お前は、また酔っぱらっているのか」
「酔ってません!」
サクラは元気よく答える。
その言葉がどれだけ信用に足りないものなのか、本人は自覚がないんだろう。酔っぱらいというものはそういうものだ。
「自己申告はあてにならない」
飲ませたのは誰だろうか。彼女の使用人仲間が何人か思い浮かぶが、どれもピンとは来ない。
彼女をかわいがっているという厨房の人間のほうが可能性が高い気がした。
精霊の客人という名の、精霊の気まぐれの被害者として、サクラがこの世界にやってきてから二ヶ月と少し。
保護者代わりのような立ち位置が、色々あって恋人という明確な関係になってからも、俺は毎回突拍子もないことをするサクラに振り回され続けている。
特に酒は、以前、酔ったサクラにされたこと、それに見事にあおられての自分の行動を思うと、二度と飲むなと言いたいほどだ。
言ったところで聞かないだろうから、あきらめるしかないんだろうが。
「ひどいです隊長さ〜ん。信じてくださいよ〜!」
「信じられる要素がないな」
俺に抱きついたまま嘆くサクラを、俺は一蹴する。
酔っても顔に出ないことは前回の経験でわかっている。
いつもより熱い体温と、間延びしたしゃべり方が、彼女が酔っている証拠だ。
「酔ってませんったら」
「どう見ても酔っている」
「酔ってない〜!」
ぎゅうう、と力いっぱいサクラは抱きついてくる。
それくらいでどうにかなるような身体ではなかったが、若干苦しい。
酔っぱらいというものは力加減ができないもの。サクラも例にもれずだった。
「いい加減認めろ。まったく」
ため息混じりにつぶやいて、俺の胸に顔をうずめているサクラの黒髪を梳く。
どうにかして彼女を落ち着かせなければいけない。
寝落ちしてくれれば楽なのだけれど、この元気度合いからしてすぐには無理だろう。
サクラの気がすむまで相手をしてやるしかないのかもしれない。
「私、お酒つよ〜いです。酔ってません。ぜーったい、酔ってません」
「誰にでも許容量というものはある。お前が今まで強い酒を飲んだことがなかっただけだろう」
サクラの世界では二十歳が成人なのだという。
成人したてのサクラは、自分で言うほどには酒を飲んではいなかったんだろう。
もしくは、彼女の世界の酒は、こちらで一般的に飲まれている酒よりもアルコールが弱いのかもしれない。
どちらにしろサクラは、酒に弱いとまでは言わないが、強くもなかった。
「……酔ってないもん」
なぜか、サクラはかたくなに認めようとしない。
敬語が抜けかけている時点で、酔っていると証明しているようなものだろうに。
酔っぱらいなのだから当然かもしれないが、何を考えているのか理解できなかった。
「どうしてそう言い張るんだ」
気になったことをそのままに問いかけてみる。
あまり答えは期待していなかったけれど。
「だって、酔っぱらいはめんどくさいですよ〜。親戚にすごーい絡み酒な人がいました。正直うざかったです」
「今のお前も似たようなものだがな」
ある意味これも絡み酒だろう。
この部屋に来る前に、他の奴らにも絡んだのかと思うと複雑だ。
俺の言葉を聞いて、サクラはそろそろと顔を上げた。
その顔を見て、俺はぎょっとした。
サクラが、今にも泣きそうな表情をしていたから。
「私、めんどくさいですか? うざいですか? ……嫌いに、なっちゃいますか?」
不安そうに震える声で、サクラは問いを重ねる。
うるんだ闇色の瞳に、魅せられそうになる。
酔っぱらいの戯言だ、と邪険にすることはできなかった。
下手をするといつものサクラ以上に、真剣で、気を張りつめているようにすら見えたから。
酒が入っているからこそ、常日頃は隠しているものが、ぽろりとこぼれ落ちたのかもしれない。
「嫌いになるはずがないだろう」
俺はできるだけ優しい声で答えた。
不安を取り除くように、サクラの頬に指を滑らせる。
こんなことで嫌いになれるのなら、とっくに嫌いになっている。
今までどれだけ振り回されてきたか知れないのだ。
「本当に?」
「お前に関する面倒事なら、俺は苦労を惜しむつもりはない」
なおも聞いてくるサクラに、はっきりと言ってやる。
精霊の客人だからというだけでなく、サクラ個人が普通の女性とは違うことは、接していればすぐにわかった。
それでも、そんな彼女がいつしか大切な存在に、愛しい人になっていたから。
手に入れたいと、ずっと共にありたいと、そう思ってしまったから。
面倒を丸ごと背負い込む覚悟くらいは、とっくにできていた。
「たいちょーさん、かぁっくい〜」
「茶化すな」
声に口笛のようなおかしな調子をつけるサクラに、俺は額を小突いた。
本心をさらすようなことを告げるのは得意ではない。けれどサクラの不安を消すためにと、真剣に話をしたのに。
酔っぱらいに何を言っても無駄なのはわかっていたが、文句の一つも言いたくなる。
「えへへ、面倒でもいいんですか? そんなこと言うと思いっきり甘えちゃうかもしれませんよ」
しまりのない笑顔を浮かべ、サクラは俺の胸にすり寄ってくる。
それは、恋人に甘える女性というよりは、飼い主に懐く猫のようだ。
「かまわない」
猫をあやすような感覚で頭をなでながら、俺はそう返す。
変な遠慮をされるよりは、甘えてくれたほうがいい。
もちろん限度はあるとは思うが、意外と大人な面もあるサクラなら大丈夫だろう。
いたずら好きの子どものようでいて、大人らしい気配りも知っている。
そのアンバランスさも、サクラの魅力の一つなのだろうと俺は思っている。
「私、愛されてますねー」
「そうだな」
今さらなことを言うサクラに、俺は苦笑した。
たしかに、愛していると、そう告げたことは一度もなかった。
言葉にしてしまえば、想いがあふれてしまいそうで。うまく伝えることができずにいる。
臆面もなく、それこそ毎日のように好きだと口にするサクラからすると、俺のその態度は不安をあおるのかもしれないが。
本当は、サクラが俺に向ける何倍もの想いを、俺は抱いている。
俺のほうが、不安になってしまいそうなくらい。
俺はサクラを愛していて、サクラの愛を求めている。
「私もたいちょーさんが大好きです。私のほうが、いっぱいいっぱい大好きなんですよ〜」
俺の心情を知ってか知らずか、サクラはそんなことを言う。
本人は本気なのかもしれないが、それはないだろうなというのが正直なところだ。
さすがに今はもう、サクラの想いを疑ってはいない。サクラは間違いなく俺のことを好きでいてくれている。
けれどその想いは、俺の抱いている想いには絶対に足りない。
そう確信してしまうほどに、俺はサクラのことを深く想っている。
「たいちょーさん……すきぃ……」
かわいらしい告白を言い残して、サクラは寝落ちた。
さっきまであれだけテンションが高かったのに、さすがは酔っぱらいといったところか。
起こさないように抱き上げて、寝室へと連れて行く。
そっとベッドに横たえさせ、健やかな寝息をこぼすサクラの顔を覗き込む。
きっと、明日起きたらまた、いつもどおりのサクラに戻るんだろう。
不安も不満も、すべて包み隠さず見せてくれはしないだろう。
心を飾らないサクラは、けれど負の感情にはふたをしようとする。
そのことに、自分でも気づいていないのかもしれない。
いつも笑顔で、嫌なことなんて何もないという顔をして。
心の奥底でだけ静かに傷ついているのだと、気づいたのは最近のこと。
外面を見ているだけではわからない彼女の繊細な一面を、俺は取りこぼさないようにしないといけない。
閉じられているまぶたに優しく口づけを落とす。
彼女の眠りが安らかなものであるように。
彼女の胸に巣食う不安が少しでもなくなるように、と願いながら。