夜、部屋に戻ると、そこにはすでにサクラがいた。
彼女は今か今かと俺のことを待っていたかのように、笑顔で駆け寄ってきた。
「隊長さん隊長さん、トリック・オア・トリート!」
「なんだそれは」
サクラの突拍子のなさには慣れたつもりだが、訳のわからない言葉を使われてはどうしようもない。
精霊によってこちらの世界の言葉に変換されないということは、あちらの世界特有の言葉ということだろうか。それかサクラも正確な意味をわかっていないということかもしれない。
どちらにしろ、意味がわからなければ反応のしようがない。
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、っていう意味です!」
にこにこ笑いながらサクラはそう答える。
が、その答えすら俺には意味不明だった。
いたずらをすると脅すくらいにお菓子が欲しい、ということなのだろうか。
それとも、お菓子なんて持ってないだろうからいたずらさせろ、ということだろうか。
「菓子が欲しいのか? それともいたずらしたいのか?」
まずそこが謎だ。
お菓子をください! と言われたなら、今すぐには無理だけれど明日には用意することもできるだろう。
いたずらさせてください! と言われたなら、……物によっては許すこともあるだろう。
けれど、サクラの希望がはっきりしないことには、叶えることはできない。
「えーと、そうじゃなくてですね。そういうイベントなんです」
サクラは人差し指を立てて説明しだした。
「ハロウィンってやつで、私のいた世界でのお祭りみたいなものです。本当は十月三十一日のイベントですし、仮装しなくちゃいけないんですけど。思い出したら言いたくなったので言ってみました!」
今は夏だ。十月三十一日はまだ先のこと。
とりあえず、あちらで行われるイベント事だということはわかった。
トリック・オア・トリートというのはそのイベントの決まり文句なのだろう。
それにしても、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、か。
関連性のなさといい、実質的には無害なところといい、なんとなく、サクラに似合いのイベントに思えた。
「菓子なんて持っていないぞ」
そうタイミングよく菓子を持っているわけがない。
そもそも菓子が欲しいなら俺ではなく厨房の人間に言うべきだろう。
「じゃあいたずらしちゃいますよ〜」
この上なく楽しそうに笑いながら、サクラが近づいてくる。
両手は顔の横あたりでわきわきと動いている。表情といい、一歩間違えれば変質者だ。
いったい何をするつもりなんだろうか。
別にサクラのちょっとしたいたずらくらい、恐れるほどのことでもないが。
その動きを止めるために、サクラを抱きしめてみた。
実のところ、理由なんてなく、そうしたかっただけなのかもしれない。
「た、隊長さん……?」
サクラはかなり驚いているらしく、俺を呼ぶ声はひっくり返っていた。
手の動きも止まっている。というよりも全身が固まっていた。
らしくないことをしている自覚はあるから、その反応も当然だろう。
「これでは菓子の代わりにはならないか?」
後づけの理由を口にしながら、自嘲する。
何に対しても理由をつけたがるのは、俺の悪い癖かもしれない。
ただ、触れたかっただけなのだと。
簡単に認められるほど、素直にはなれない。
「たたた隊長さん正気ですか!? 熱でもあるんですか!?」
「……お前な」
サクラのあわてっぷりとその言葉のひどさに、俺はため息をつく。
何もそこまで言わなくてもいいだろう。
「だって、変ですよ! いつもの隊長さんじゃないです!」
そんなにおかしいだろうか。
恋人との触れ合いは菓子にも勝る甘味だと、その考え自体は間違っていないと思う。
それをこうして行動に移したのが、いつもの俺らしくないということはわかっているけれど。
「たまには……と思ったんだが」
「い、いつもの隊長さんでいいと思います」
どもりつつもそう言うサクラは、いまだに動揺したままのようだ。
視線を落としてみれば、腕の中の彼女の耳が赤く染まっていた。
見てわかるほどに、照れている。
俺は思わず笑みをこぼす。
「そうか」
そう答えながらも、俺は正反対のことを考えていた。
たまにはこうして心のままに行動してみるのもいいかもしれない、と。
サクラの意外な面を見ることができるのなら。
いつもの俺は、サクラに振り回されてばかりだから。
今みたく、サクラをたじろがせられるくらいに、自分に素直になれれば。
たまに、しか無理だろうとも、わかっていたけれど。