わからない

 驚いた顔が見たいと思った。
 普段ほとんど表情の変わらない主を、飛び上がらんばかりに驚かせてみたかった。
 物陰から急に姿を現そうと、屋根の上から降りてこようと、珍妙な格好をしてみようとも、審神者はピクリと眉をひそめるだけに留まった。
 鶴丸の突飛な発想を持ってしても、今まで全戦全敗。
 主の長いまつ毛に覆われた瞳が驚きに見開かれることはついぞなかった。

 何をすれば驚くのか、想像もつかなかった。
 驚きという感情が抜け落ちているのでは、と思うほどに。
 表情が変わらないからといって、審神者に感情がないわけではないのは知っている。
 無茶をする刀には淡々とした声で、けれど憤りをにじませて叱るし、刀が傷ついて帰ってきたときは悲しそうに瞳が揺れる。
 短刀にじゃれつかれると優しい雰囲気をかもし出すし、甘いものを食べているときはどこかしあわせそうだ。
 ごくごくたまにだけれど、うっすら微笑むこともあった。

 鶴丸が審神者を驚かせようと行動しても、審神者は眉をひそめ、『またですか』とため息をつくばかり。
 そのため息が、不愉快に思ってのものではないことだけは、かろうじて察せられた。
 鉄仮面の奥に隠された情の厚さを、今では本丸の誰もが知っている。
 だからこそ、だ。
 だからこそ鶴丸も、主を驚かせることにこだわるのだ。
 どうでもいい相手を驚かせようだなんて、鶴丸はそんな酔狂なことはしない。
 驚かす、という行為は、鶴丸にとって好意を示す手段でもあったのだ。



 その日、鶴丸は審神者の近侍として傍にひかえていた。
 審神者は刀剣に平等に接しようと、定期的に近侍を変える。その善し悪しは、人によって意見が変わるだろう。少なくともここでそれに不満を持っている者は、一応のところ、いなかった。

「主には驚きが足りてないな」

 審神者の書類仕事が一段落つき、共に卓を囲んでお茶を飲んでいるとき。
 いつもどおりの無表情で書物を読んでいる審神者を眺めながら、鶴丸は言った。
 頬杖をついた鶴丸のその言葉は、聞きようによっては拗ねているようにも取れるかもしれない。
 鶴丸はただ、不思議なだけだった。
 どうして驚かないのか。どうして驚いてくれないのか。
 審神者は、どうしたら驚いてくれるのか。
 知りたいだけだった。

「私が驚かないのではなくて、鶴丸が驚かすのが下手なんですよ」
「……こいつはきついね」

 ちらりとこちらを一瞥した審神者に、眉一つ動かすことなく、バッサリと一刀両断されてしまった。
 けれど、それもそうなのかもしれない、と思わなくもなかった。
 鶴丸にあるのは、刀として過ごした長い歴史と、その間のものと思われる曖昧な記憶のようなもの。
 人の身を得てからはまだそれほど時間は経っておらず、人間というものを熟知しているとは言いがたい。
 他の刀剣には通用する驚かし方も、人間として先輩である審神者からすれば、稚拙に見えても仕方がないだろう。

「あまりにも驚かす気満々で来られても、わざとらしすぎて驚いてなんてあげられません。泣かせよう泣かせようという意図を感じる物語に泣けないのと同じことです」

 読んでいる書物から視線を上げることなく、審神者は理由を教えてくれた。
 今読んでいる物語は、そういった類ということなのだろうか。
 文字を追う瞳には感情らしい感情は見えず、表情はピクリとも動かない。
 活字中毒、と前に主は己を称していた。良作駄作関係なく、読まずにはいられないのだと。
 わざとらしすぎる物語も、これまで山のように読んできたのだろう。

「なるほどな。主は勘が鋭くて困るな」
「それはどうも」

 まったくもって喜んでいるようには聞こえない平坦な声が返ってくる。
 思うに、主の表情の変化のなさは、洞察力の鋭さが関係しているのかもしれない。
 想定内のことが起きたところで、目に見えて驚く者はいないだろう。
 それがわかったからといって、では驚かせることをあきらめようとは、何故か思えないのだが。

 意図を感じると驚けない、と審神者は言った。
 その気持ちはわからなくもない。
 審神者から見た鶴丸は、今から嘘をつくぞつくぞ、といった様子のいたずら小僧の短刀らと同じなのだろう。
 驚かせようという意図を捨てれば可能性はあるのかもしれないが、それではそもそも本末転倒だ。
 やはり、人間というものは難しい。

「一度でいいから、驚きに彩られた主の顔が見たいんだがな」

 こちらを向かない審神者を見つめながら、自然と口が動いていた。
 そう、彼女の、いつも伏せがちの目が見開かれて。
 黒羽色の瞳に映るのは、驚きと、鶴丸だけ。
 小さな、桃の花弁で形作ったような唇が、つるまる、と動く。
 その瞬間は、どれほどに、鶴丸を満たしてくれ――

「……何やってるんですか」

 彼女らしくない、わずかな驚きをにじませた声。
 ハッ、と鶴丸は我に返った。
 いつのまにか、鶴丸の手は審神者の頬を覆っていて、その指先はまなじりに触れていた。
 鶴丸を見上げる黒い瞳には、審神者よりよほど驚いた顔をした自分が映っている。
 彼女の長いまつ毛にすら、少し指を動かしただけで触れられてしまうだろう。

「何を……やってるんだろうな、俺は」

 呆然とした心地で、鶴丸は意味のないつぶやきを落とす。
 心底、自分で自分が理解できなかった。

「いや、私が聞いたんですけど」
「すまん。俺にもわからん」

 鶴丸が正直に告げると、審神者は形のいい眉をひそめ、ため息をついた。
 いつも、鶴丸が驚かせようとするたびにそうするように。

「はあ……そろそろ仕事を再開しますよ」

 そう言って、鶴丸の手から逃れるようにして立ち上がった審神者の背中を、鶴丸はぼんやりと目で追う。
 ふいにわき上がった衝動の名前は、今はまだわからない。



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