夕日が燃える

 薄紅色の桜に覆われた本丸の庭を、一期一振と共にゆっくり歩む。
 執務の合間、凝り固まった身体をほぐそうと庭に散策に出ようとしたら、当然のように一期一振もついてきた。
 実際、当然なのだろう。主を一人にしないのが近侍の仕事のようなものだ。
 足を踏み出すのが戸惑われる桜の絨毯の上を歩きながら、今日の仕事のこと、刀剣たちのこと、他愛ない世間話をする。
 穏やかな微笑みで相槌を打ってくれる一期一振はとても聞き上手で、つい饒舌になってしまう。
 こんなどうでもいい話を聞いていて楽しいんだろうか。
 うかがうように一期一振を仰ぎ見ても、彼はやはりいつもの微笑みを返してくる。

「主、どうかいたしましたか?」
「ううん、大丈夫」

 彼には桜も似合うのだな、と審神者はしげしげとすぐ傍に控える一期一振を眺めた。
 冬の空よりも淡く澄んだ色の髪は溶けゆきそうなほど儚く、黄玉のような瞳も優しい彼の雰囲気に沿った、夕日のごとくあたたかな光を投げかけてくる。
 品のある佇まいはとても戦場に身を置く刀とは思えない。
 こうして桜を背負った彼は、見事な桜吹雪にも負けぬうつくしさで。
 そう、まるで、子どものころ絵本で見た白馬の王子のような。

「主、桜の花びらが御髪に」

 気づけば一期一振の視線は審神者の髪に向けられていた。
 これだけ桜が散っていれば、花びらの一枚や二枚は髪についてもおかしくない。
 己の髪は不気味な市松人形のように真っ黒だから、さぞや目立つことだろう。

「え? どこ?」
「右のほうに……ああ、そちらではなく」

 頭上で手を踊らせる私を見て、くす、と一期一振は笑う。
 それは思わずといった風にこぼされたもので、嫌な感じは受けなかったものの、笑われた事実は変わらない。
 むう、と頬をふくらませる私に、彼はすみません、と苦笑と共に告げた。

「失礼します」

 少しの距離が詰められて、彼の手が私の頭へと伸びる。
 触れたか触れないか。触れたような気もするし気のせいだったかもしれない。
 それほどのかすかな感触に、知らず胸が小さく高鳴った。

「ありがとう、いち……」

 ご、と声は音にならずに吐息となって消えていった。
 すぐに遠ざかっていくと思われた彼の手が、審神者の頬をするりと撫でたからだった。
 審神者は一瞬にして硬直した。
 親指と人差指に摘まれた花びらが、動かすことのできない視界の端のほうに見える。
 薄い手袋越しに感じる体温が、あたたかいのか冷たいのか。
 そんなこともわからなくなるほどに、今の審神者は極度の混乱状態にあった。

「…………」

 一期一振の口から、小さな小さな声がもれた、ように思えた。
 それは実際には審神者の耳を打つことなく、何を言おうとしたのかはわからない。推し量ることも今の彼女にはできそうにない。
 審神者はただ、一期一振の視線に縫い止められていた。
 常日頃、優しくあたたかな夕日のようだと思っていた瞳は、今は熱く、奥でゆらりと炎が上がっているようで。
 見ているだけで燃やし尽くされてしまいそうだ、と思うのに、逸らせない。
 ただ、うつくしい、と。
 ため息すらこぼすのをためらわれるほどに。

「……申し訳ありません」

 すっ、と熱が離れていった。
 それは手のぬくもりでもあり、まなざしという熱でもあり。
 彼のほうから外された視線は、もう先ほどのような色はなく。
 ほっとしたような、けれどどことなく残念なような、この複雑な心の揺れを審神者は持て余す。
 明後日を向いた一期一振の頬が少し赤く染まっているように見えるのは気のせいか。きっと気のせいだ。薄紅色の花吹雪のせいでそう見えるだけだ。
 そう思っていなければ、そうでなければ。
 とてつもなくおかしなことを、口走ってしまいそうだった。

「い、いえ、別に、そんな」

 審神者はギクシャクとした動きを自覚しながら、首を横に降る。
 今のは別に何もなかったのだ。なんの意味もなかったのだ。
 そういうことにしておいたほうがきっといい。
 たとえばいまだ治まらない胸の鼓動だとか、異常な頬の熱さだとか。
 その理由に気づいてしまえば、もう後戻りはできないだろうから。



 ああ、けれど。
 もしまたあの熱を向けられたなら。
 いっそ骨も残らぬほどに燃やし尽くされても、後悔はしないかもしれない、などと。
 そう思ってしまう時点で、すでに手遅れなのかもしれなかった。



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