三歳の娘の殺人的なかわいさについて

 お盆休み、俺たち家族は妻の両親の家にやってきた。
 玄関で出迎えてくれたお義父さんにきちんと挨拶して、家に上がろうとしたところで。

「おぢぢちゃま」

 三歳になったばかりの娘の由依はふにゃりと気の抜けた顔を向けて、そう呼んだ。
 瞬間、お義父さんの眉間にしわが刻まれる。

「由依、違うだろ。おじいさま、だ」

 俺はあわてて注意する。
 しゃがんで視線を合わせると、由依はよくわかっていないようで、うー? と首をかしげた。
 由依にとっては、ちゃんと言えているつもりなんだろう。
 子どもというのはそういうものだ。
 強面のお義父さんを前にして、泣き出さなかっただけ偉い。
 しょっちゅう会っている俺の両親と違って、妻の両親は住んでいる県が違うため、お義父さんと最後に会ったのは、由依がまだ今ほど話せなかったころだ。
 顔を覚えているかも怪しいのに、ちゃんと祖父だと認識できたのは褒めていいかもしれない。

「あら、かわいいじゃない、おぢぢちゃま」
「香弥……」

 くすくすと笑う妻に、俺は何も言えなくなる。
 厳格なお義父さんから、よくこんなマイペースな娘が生まれたものだ。
 初めて香弥の両親に挨拶に行った時から不思議に思っていたけれど、その謎が解けることはきっとないんだろう。

「まったく、三歳にもなって正しい日本語すら使えないとは……」
「すみません、お義父さん」

 無茶言うな、と内心思いつつも、俺はとりあえず謝っておいた。
 むしろ、まだ三歳、だ。
 子どもの成長というのは個人差も大きい。
 由依は周りよりも少しだけ話し始めるのが遅かった。
 今でも、二文節以上の言葉を話すことは少ない。
 でも、気にしすぎるのは育児ノイローゼの元だからと、香弥は笑顔を絶やさずに子どもに接している。
 俺も仕事があるから、香弥ほどは無理だけれど、なるべく由依をかわいがっているつもりだ。

「父さんったら、相変わらずお堅いんだから。孫がかわいくないの?」
「私は孫だからと底なしに甘やかしたりはしない。晴一郎のような甘やかし方は、子どものためにならん」

 ふんっ、とお義父さんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 晴一郎、とは俺の父の名前だ。
 不思議な縁もあったもので、父とお義父さんには学生時代に交流があったらしい。
 お互い多くは語らないので、あまりいい思い出ではないんだろうけれど。
 父の甘やかし方は、言うほどにはひどくないと俺は思うけど、感じ方は人それぞれということだろう。

「ほーんと、仲悪いんだから。由依、偏屈なお祖父ちゃんは放っておいて、お祖母ちゃんに挨拶に行きましょうねー」
「おばばたま?」
「そう、お祖母さま。足を悪くしているから、私たちから会いに行くのよ」
「俺は先に荷物を運んでおくよ。あとで改めて挨拶に行くけど、お義母さんにはよろしく言っておいて」
「はいはい」

 靴を脱いで、二人は手をつないで奥へと入っていった。
 お義父さんの家は、現在二人で住んでいるのがもったいないくらいに広い。
 そこまで田舎というわけでもないのに、この家を建てるのに、どのくらいの金がかかったんだろうと途方に暮れてしまうのは、マイホームを夢見るサラリーマンとしては当然のことだと思う。

 妻と娘の姿が完全に見えなくなってから、お義父さんがそわそわとしだした。
 その理由に予想がついている俺は、思わず苦笑をこぼす。
 それから、肩掛けバッグのポケットから封筒を取り出し、お義父さんに手渡した。

「お義父さん、どうぞ。いつものものです」
「……すまない」

 お義父さんは小さな小さな声でそう言って、封筒を開けた。
 中に入っているのは、十枚程度の写真。
 すべて、由依が中心に写っているものだった。

「それは先月の由依の三歳の誕生日パーティーのときの。それは先日、プールに行ったときのものです」

 一枚一枚指さしながら、説明をする。
 このとき由依はこんなことをした、あんなことがあった、と事細かに。
 写真を見下ろしながら話を聞くお義父さんの顔は、真剣そのものだ。

「今回もちゃんと、一枚多く注文したのは香弥には内緒にしてありますから」
「……助かる」

 お義父さんが一番気になっているだろうことを教えると、また小さな声で一言だけ返ってくる。
 素直になるのが苦手なお義父さんだけれど、愛情を知らないわけじゃない。
 むしろ、言葉にしないだけで、本当は人一倍愛情深い人だと思う。
 お義父さんの家には、由依専用のアルバムが用意されている。
 季節の便りと共に俺が送っている写真を一つにまとめているらしい。
 たまにお義母さんと一緒に見て、孫の成長を喜び合っているんだろう。
 初めは、めったに会えないからと始めたことだけれど、最近では「まだなのか?」とせっつかれる始末だ。

「由依、かわいいでしょう?」

 にっこり、と俺は笑顔でそう聞いてみた。
 たまには素直に言葉にする練習もしてみたほうがいいと思ったんだ。

「……そうだな」

 お義父さんは、苦虫を噛み潰したような顔をしつつも、肯定した。
 かすかに頬が染まって見えるのは、気のせいじゃないはず。
 今のところ、こんなお義父さんの姿は、俺と……あとはお義母さんくらいしか知らないんだろうけど。
 いつか、俺の父と競うようにして由依を甘やかそうとするお義父さんが見られるような気がする。


 俺は、そんな日を楽しみにしているんだ。






「書き出し.me」にて書いたお話を大幅に加筆修正しました。元文はこちら。
書き出し:「おぢぢちゃま」



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