「という会話を偶然聞いちゃってね」
「なるほど……」
家に帰ってから、蓮見蛍の想い人のことを季人に報告した。
女ったらしの蓮見蛍だし、ただの冗談なんじゃないか、と最初は季人も疑っていたけれど、覚えている限りのやりとりを話すと納得したようだった。
なんでも、ゲームにも似たようなイベントがあったんだそうだ。
「ほら、これ」
と見せられたのは、季人が前世の記憶を思い出してから、ゲームについて覚えていることをすべて書き記したノート。
蓮見蛍のイベントの項目には、たしかに、彼のもらったプレゼントを渡されそうになるという内容のミニイベントがあった。
受け取っても断っても好感度が下がる。諭す選択肢を選ぶと好感度が上がる、というひねくれ者な蓮見蛍らしいイベントだ。
奇しくも真由先輩はイベントを成功させてしまったことになる。かわいそうに。
「ゲーム期間中に、ゲームヒロイン以外を好きになるなんてね……」
季人はあごに手を当て、難しい顔をしてしまっている。
プレイヤーキャラクター、つまり私でなくてもイベントが起きる、ということに季人は少なからず衝撃を受けているようだった。
でも、私にしてみればそこまで驚くようなことでもないように思える。
だって、イベントってつまり、好意を持つことによって起きるものなんだろうから。
もちろんランダムで起きるものもあるわけだけれど、それは除外するとして。
ゲームが元になっていても、これは現実。プレイヤーキャラクターである私がプレイする気がないように、攻略対象が誰を好きになるかだって自由だ。
萩満月が弥生ちゃんに片思いしているかもしれない、という事実だってあるわけだし。
「そんなの萩満月のときにわかってたことじゃん」
「萩満月の情報はまだ確定じゃないから」
わざわざ私が弥生ちゃんから情報収集までしたのに、何を言うか。
少なくとも萩満月が誰かに片思いしているのは、ほぼ確定だと思うんだけどな。
慎重派な季人らしいといえばらしいかもしれない。
「私じゃなくてもイベントは起きる。攻略対象は普通に恋をする。これでいいんじゃない?」
そう確認してみても、季人はうーんとうなるだけで、こちらを見もしない。
少しだけ、イラッとした。
「季人、聞いてる?」
声に苛立ちが混じっていることに気づいたんだろう。
弾かれたように季人は顔を上げた。
そうしてバツが悪そうな笑みを見せる。
「ごめん、聞いてるよ。たぶん、咲姫の言うとおりなんだと思う」
「でしょ。悩むことなんてないじゃん」
私の言葉にも、季人は複雑そうな表情を崩さない。
季人は私と違ってゲームの知識があるから、割りきれないのもしょうがないのかもしれないけれど。
ゲームはゲーム、現実は現実。
ゲームでは起こりえなかったことが現実で起きたって、なんの不思議もないじゃないか。
「まあ、そのほうが俺もやりやすいかな」
「どういうこと?」
ぼそりと小さな声でつぶやかれた言葉は偶然にも聞き取れてしまって、私は問いかけてみる。
やりやすいってなんだ、やりやすいって。
「攻略対象と関わりたくないっていう咲姫のサポートも、攻略対象の興味がそれてるならやりやすいでしょ」
季人はにこりと笑って、当然のように言う。
人のいい笑みに、私は呆れの気持ちがわいてくる。
まったく、何から何まで私が基準なんだから。
「興味持たれなくても、出会わないことに越したことはないけどね」
「それはもちろん。サポートするよ」
憎まれ口にも返ってくるのは快諾の言葉。
サポート役が季人で本当によかった、とこういうときに思う。
季人じゃなかったら、こんなふうに頼れなかった。甘えられなかった。信じることもできなかった。
私が平穏な学園生活を送るためには、今の私には、季人が必要なんだ。
「頼りにしてる」
私は素直な気持ちを言葉にした。
季人みたいに優しげなものではないけれど、笑みを浮かべて。
「大丈夫だよ、俺がいるから」
季人はそう言って、私の頭をぽんぽんとなでた。
いたわるような、元気づけるようなそれに、自然と心が和らいでいく。
いい加減、従兄離れしないとなぁ、と思いつつも。
まだまだできそうにないのは、確実にこの従兄の甘やかし癖のせいだと思う。
と、内心で私はため息をついた。
* * * *
そんなこんなしているうちに、特に問題もなく期末テストも終了した。
テスト結果は上々で、総合順位は十八位。
前回は平均点より少し上程度だった英語で、けっこういい点数を取れたおかげでもあるだろう。
テスト結果が出たあとの会話イベントは、今回は桜木ハルだった。
彼も前回よりは順位が上がっていたらしい。いいことだ。その調子で精進したまえ。
「た、立花! ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」
テスト結果の出た日の放課後、桜木ハルに呼び出された。
呼び出されたというよりも、同じクラスなんだから、単純に誘われたと言うべきか。
「ここじゃ話せないこと?」
「うん、二人っきりで話したいんだ」
私の問いかけに、桜木ハルはいつもどおりに笑おうとして、失敗した。
その緊張した様子に、これはイベントなんじゃないか、と私は気づいた。
しかもたぶん、恋愛イベントその一、だ。
恋愛イベントその一は、ほとんどのキャラが流れが一緒で、昼休みか放課後に話があるとヒロインを呼び出す。
そうして二人っきりで、普通の日本人は恋人にも言わないだろうというようなベタ甘な長台詞を吐く。
呼び出すときの台詞までは季人も覚えてはいなかったから、もちろん恋愛イベントではない可能性もある。
でも、どっちにしろ、相手が桜木ハルである以上、私の答えは一択だ。
「ごめん、用事があるの」
声には感情を乗せずにきっぱりと断る。
用事はないけれど、作ろうと思えばいくらでも作れる。
そうだ、今日は帰りに図書館に寄ろう。
静かな図書館で、返ってきたテストの、間違えていたところを解き直すのもいいかもしれない。
「そ、そっか……」
しょんぼり、と桜木ハルはわかりやすく落ち込んだ顔をした。
捨てられた子犬のような風情に、わずかに存在する良心が痛むけれど、ここで甘い顔をするわけにはいかない。
攻略対象とは関わり合いにならない。
これは、私の穏やかな学園生活を守るために必要なことだ。
桜木ハルは同じクラスのために、毎日嫌でも顔を合わせてしまう。
好感度の初期値も若干高めだから、イベントが起きやすい分、特に注意しなければいけない。
好感度、でふと私は思い出す。
そういえば、恋愛イベントその一は、微笑みマークじゃなければ発生しないんじゃなかったっけ? と。
桜木ハルを含め、攻略対象は全員通常マークのまま維持できていたはず。
はっきり確認したわけじゃないけれど、好感度のマークが変わったなら季人のほうから教えてくれるだろう。
じゃあ、これは恋愛イベントではない、ということなのか。
まあ、いいか、と私は思い直した。
最初から、桜木ハルと一緒に放課後を過ごすという選択肢はない。
恋愛イベントじゃないにしろ、好感度を上げてしまうようなことをするわけにはいかないんだから。
「それじゃ、私は行くね」
「え、あ……うん」
落ち込んだ様子の桜木ハルを置いて、私は教室を出て行った。
後ろめたさを感じさせる桜木ハルは、厄介な攻略対象だ、と思いながら。
* * * *
ちなみに、好感度の問題は簡単に解決した。
家に帰って季人に今日の話をしたら、桜木ハルの好感度が微笑みマークになっていることがわかったのだ。
たぶん、テスト結果の会話イベントで上がったんだろうとのこと。
微笑みマークになるほど好感度を上げるような受け答えなんてしたつもりはないけれど、日頃の積み重ねが響いてきたんだろう。
「相合い傘イベントのときも、はっきりとは断らなかったからね」
「あれ以外にどう断れと?」
自分としては最善の選択をしたつもりだった私は、むっつりとした顔をする。
あのときの桜木ハルは、濡れたくないからかかなり必死だった。
あそこまで言われて断るなんて、極悪人じゃないか。
「ゲームだと、相合い傘で帰るか断るかしか選択肢がなかったんだよ。咲姫はゲームにはない選択肢を選んだ。それがどんなふうに好感度に計測されたのかは、俺にもわからない」
季人は困ったような笑みを見せる。
なるほど、ゲームにはなかった選択肢、か。
ゲームにはない日常のやりとりにも注意しなければならないし、ゲームにはない選択肢は選ばないほうが無難、ということだろうか。
でも、やっぱり私にはあのとき他にどう断ればよかったのか、思いつかない。
ゲームって不親切だ。非現実的、とも言えるかもしれない。
「ゲームでは一度断ればもう恋愛イベントは発生しないけど、現実でもそうとは限らない。……大変だろうけど、逃げ続けるしかないね」
「だよね……」
予想していた季人の言葉に、私は思わずため息をつく。
ゲームの内容がどこまで現実に反映されるのかはわからない。
イベントなんかは普通に起きるみたいだけど、ゲームではありえなかったことだって起きている。
現実なら、一度断られたくらいで、話そうとしていたことをあきらめるかどうかなんて、人それぞれだ。
どうか一回であきらめてくれますように、と私には祈ることしかできない。
「まあ、そろそろ夏休みだし、長期休暇を挟めばあきらめるんじゃないかな」
季人の楽観的な意見に、そうならいいな、と私も少しだけ気が楽になる。
一学期は今週で終わる。あと本当にちょっとだけ。
桜木ハルとは連絡先を交換していないから、夏休みに会うことはほぼありえない。外出時に顔を合わせないよう気をつければいいだけ。
夏休みになれば、私はプレイヤーキャラクターという立場から一時的にでも解放される。
「咲姫はがんばってると思うよ。一学期中に強制以外で出会いイベントが発生したのは藤井清明だけだし、一番避けたほうがよさそうな百合川陽良と蓮見蛍とはまだ出会ってないし、結構順調なんじゃないかな」
私を励ますように、季人はそう言ってくれる。
攻略対象と出会わないように、移動教室以外はほとんど教室から出ないようにしているし、特に攻略対象のよくいる場所には近づかないよう気をつけている。
百合川陽良や蓮見蛍なんかは女子の黄色い声的な意味で目立つから、避けるのもけっこう簡単だ。廊下ですれ違ったことすらない。
なんだかんだで、努力はちゃんと実を結んでいるんだ。
「残り一週間、何も起きずに過ぎてほしいものです」
私は両手を合わせながら、一番の願いを口にした。
もし、ゲームの神さまというものがいるのなら、私はできる限りのお供えものをするだろう。
生まれ変わりというのが実際にあるんだから、神さまがいたとしても驚かない。
自分の役に立つなら、神さまだろうとなんだろうと頼りたくなる。
お願いだから、私の平穏な学園生活を壊さないでください、と。
どんなに願っても、敵は予想もしなかったところから攻めてくる、ということを、すぐに私は思い知らされることになるんだけれども。