16:借り物競走というミニゲーム

 裏門で落ち合おう、というメールに了解と返信をして、私は目的地へと足を進める。
 向かったそこは、思ったよりもというか、ほとんど人の姿がなかった。
 たぶん、正門のほうや、中庭なんかにはもっと人がいるんだろうけど。
 校庭からだいぶ離れているからだろう。秘密の話をするにはもってこいだ。
 人が少なかったから、季人は簡単に見つかった。
 裏門の壁に背を預けながら携帯をいじる季人に、私は近づいていく。

「災難だったみたいだね」

 足音に気づいたのか季人は顔を上げて、ペットボトルを持った手を振りながらそう言ってきた。
 その顔に浮かべているのは、苦笑。
 送ったメールだけで、だいたい何があったのか想像がついたんだろう。
 相変わらず、察しのいいことで。

「ほんとだよ〜。笑い事じゃなかったんだから」
「お疲れさま。逃げられたんだからよかったんじゃないかな」

 私が大きなため息をつくと、季人はぽんぽんと私の頭をなでた。
 いたわるようなその手つきに、少し気持ちがほぐれる。
 さっきまでの緊張感が、まだ残っていたらしい。
 なんだか季人は精神安定剤みたいだ。
 こうして、簡単に私の心を軽くしてくれる。
 それに際限なく甘えてしまいそうな自分がいて、ちょっと怖い。

「でも、根本的解決にはなってないよ。またいつ同じようなことがあるかわからない」

 気を取り直して、話し合いの態勢に入る。
 倉橋さんと萩満月につながりがあるというのは、盲点だった。
 同じ部活で、委員会まで一緒。そうなれば多少は話すこともあるだろうし、仲良くなっても不思議ではない。
 その可能性に気づかなかったのは、倉橋さんがゲームに出てこない人物だったからだ。
 ゲームと関係のない人が、攻略対象とプレイヤーキャラをつなげる存在になるだなんて、思いもよらなかった。
 ゲームを下敷きにしながらも、ここはまぎれもない現実だ。
 何があっても不思議ではない、ということを、私はちゃんと理解していなかったんだと思う。

「簡単なのは、倉橋さんとあまり仲良くならないことだけど。それは、嫌なんでしょ?」
「……うん」

 季人の問いかけに、私は小さくうなずく。
 倉橋さんは、とてもいい子だ。
 趣味も話も合うし、できることならもっと仲良くなりたい。
 たとえそうすることによって、攻略対象と関わる可能性が高くなってしまうとしても。
 友だちになりたい、という気持ちは、理屈じゃないのだ。

「咲姫の中で優先順位が決まっているなら、もうしょうがないよ。出会ったら出会ったで、他に避けようもあるし」

 裏門の壁に寄りかかりながら、季人は微笑みを浮かべた。
 それは、私のわがままを許容するような表情。
 季人はいつも私の意思を尊重してくれる。
 うれしいような、申し訳ないような、悔しいような。複雑な気持ちになった。

「しょうがない、って便利な言葉だね」

 不機嫌そうな言い方になってしまった。後ろめたさの裏返しだ。
 私だってわかっている。本当に攻略対象を避けたいのなら、もっと徹底的に可能性を排除しなければならないのだと。
 花園さんのことをなんだかいいなと思ってしまっている。桜木ハルのこともはっきりと拒絶できていない。
 そうして、萩満月とつながりを持った倉橋さんと仲良くなろうとしている。
 今の私はどれもこれも中途半端だ。その自覚はある。
 だって、私は別に一人でいるのが好きなわけじゃないのだ。
 一人の時間も必要だとは思うけれど、友だちは欲しい。人とのつながりを失いたくはない。
 そんなふうに思ってしまうこと自体、甘えのような気もするのだが。

「そう思うしかないでしょ。あきらめも肝心、って咲姫なら言いそうなものだけど」
「そう、だね」

 あきらめるしかないことも、中にはあるだろう。
 今回もそれに当てはまるのかはわからないけれど。
 倉橋さんと今よりももっと仲良くなって、そのことにしあわせを感じられる自分がいたら、きっと『しょうがなかったんだよ』と言うんだろう。
 友だちを、利害や損得で選ぼうと思えないんだから、しょうがない。

「それで、用はこれで終わり?」

 季人に尋ねられて、私はうーんと視線をさまよわせた。
 元々、萩満月から逃れる理由が欲しかっただけで、用があったというわけじゃない。
 でも、自分の出る種目はまだ先だし、どうせならと私は口を開く。

「ついでだし、借り物競走の最終確認をしたいな」
「別名、借り人競争のね」

 季人の言葉に私はうなずく。
 借り物競争、というのは説明しなくてもどういうものかわかると思うが、この学校の借り物競走は少し変わっている。
 借りるのが物ではなく、人なのだ。
 たとえば『眼鏡をかけた人』だとか、『ポニーテールの一年生』だとか、『三年四組出席番号二十番の人』だとか。
 クラスに何人もいるような簡単な指定から、たった一人しかいない指定まで様々。
 種目決めが終わったあとに、今年がこの学園での初めての体育祭となる私は、クラスの体育祭実行委員の人から説明を受けた。家に帰ってから、OBである季人からも詳しく聞いた。
 特に、過去の体育祭を知っているだけじゃなく、ゲーム知識もある季人の説明は、とても重要だった。

「『好きな人』が出る確率は、四分の一だっけ。高いよね」

 そう、創作なんかではお約束だけど、現実ではあまり見ない『好きな人』という借り物があるらしいのだ。
 さすがゲーム世界、といったところだろうか。
 季人は前世でかなり『恋花』をやりこんでいて、攻略情報をネットなんかで調べていたらしく、ランダムの確率すら知っていた。
 季人一人いれば、ゲームの攻略本なんていらないだろうな、なんて思ってしまう。
 単に記憶力がいいのか、それだけ好きだったということなのか。
 どちらにしろ、私が助かることには変わりない。

「ゲームではそうだったけど、現実だとどうだろうね。俺のときは、そんな借り物はなかったし。今年の実行委員が遊んだんだと思うけど」

 あごに手を当てながら、季人は答える。
 借り物競走の指定は、毎年体育祭実行委員が決めているらしい。
 単独犯にしては高い確率からして、実行委員会全体ではっちゃけてしまったんだろうか。
 もしゲームのとおり四分の一の確率で『好きな人』という指定が出てしまうなら、今年の借り物競走は大変なことになりそうだ。

「はた迷惑な遊びはやめてほしいね」
「当人はともかく、外野は盛り上がるだろうけどね」

 苦笑する季人に、私は理解できずに眉根を寄せる。
 そういうものなんだろうか。
 他人の恋路を見せられたって、別におもしろくもなんともないと思うのだけれど。
 それをネタにからかわれるハメになるなら、公開告白しなければならない走者たちがかわいそうだ。
 まあ、それは私にも言えたことだが、幸いにも私には逃げ道があった。

「『好きな人』ってのが出たら、季人を連れていけばいいんだよね」
「うん。ゲームでも、誰の好感度も上げたくない場合は季人を選ぶんだ」

 事前に言われていた提案を確認すれば、季人は微笑みながら答えた。
 ゲームの借り物競走は、人がたくさん並んでいるグラフィックの中から借り物を選ぶというミニゲームらしい。
 そこには攻略対象や花園さんも含まれていて、『好きな人』という指定が出たときは、すでに出会っているキャラの中から選ぶとそのキャラの好感度が上がるのだとか。
 グラフィックには攻略対象のそっくりさんなんかもいるらしく、ちゃんと本人を選択しないと失敗となって、ペナルティーとして一定時間操作ができなくなり、その結果順位が下がる。
 まだ出会っていない攻略対象や、モブキャラなんかも、選択すると失敗扱いになるらしい。
 で、唯一の逃げ道が、サポートキャラである立花季人、なんだそうだ。
 まだ攻略したいキャラと出会っていないときや、好感度の調整のために一人だけの好感度を上げたくないときなんかは、立花季人を選択することでその場をやり過ごすのが基本、と言っていた。

「それに、間違ってもいないでしょ? 大事な大事な従兄なんだから」

 季人は目を細めて、にんまりと笑った。
 一見、善良で無害そうな顔つきをしているのに、そんな表情をすると意地悪に見える。
 というか、その発言はどうひかえめに表現しても、意地が悪い。

「……普通、自分で言う? そういうこと」
「あれ、違った?」

 きょとんとした顔で首をかしげる季人。
 わざとらしすぎる。絶対、わかってて言っている。

「違ってはないけど……」

 反論できずに、もごもごと口の中で答える。
 そりゃあたしかに、季人は大事な従兄だ。
 母さんと同じくらい大事で、私にとって特別な親戚で、遠慮なく甘えられる人で、心の支えになってくれている存在だ。
 私だってそれはちゃんと自覚しているし、感謝もしている。言葉で伝えたことは少ないけれど。
 だからって、わざわざそれを指摘しなくたっていいじゃないか。

「顔、赤いよ?」
「知らん!!」

 ついに私は大声を上げて、そっぽを向いた。
 基本的に私に優しくて甘い季人なのに、たまにこうして私を困らせるようなことを言う。
 甘いだけじゃない季人は、それだけ気を許してくれているようでうれしくもあるけれど、やっぱり戸惑う。
 冗談を軽くかわせるような大人には、まだなれそうになかった。

「からかってごめん。でも、そういう言い訳ができるから、やっぱり俺が適任だと思うよ。父さんや母さんじゃ走るのが大変だしね」

 季人はいつもの人のよさそうな微笑みに表情を変える。
 そのことにほっとして、私も季人に向き直る。

「それ自体に異論はないよ」

 四捨五入すると五十になる伯父さん伯母さんを走らせるのは酷だろう。
 攻略対象を選ぶつもりは元からない。
 別に倉橋さんや花園さんでもいいんだろうけれど、実のところ、二年一組の席は借り物競走が行われる場所から少し遠かったりするのだ。
 季人は競技中、近くで見ていてくれるらしいし、それならチームの足をできるだけ引っ張らないためにも、早くゴールできるほうを選ぶのは当然のことだ。

「他に確認しておきたいことはある?」
「大丈夫、だと思う」

 体育祭イベントについては事前に詳しく聞いているから、特に問題はないはずだ。
 借り物競走のことも、そのあとのことも、全部覚えている。

「そろそろ戻らないと、お友だちに心配かけちゃうかもしれないね。競技、がんばって」

 会話をしめくくるような季人の言葉に、うん、と私はうなずきを返す。
 もう倉橋さんはとっくに萩満月におめでとうを言い終わって、席に戻っているだろう。
 たしかに早く戻らないと、いらぬ心配をかけてしまうかもしれない。
 じゃあまたあとで、と言おうとしたタイミングで、季人がずっと手に持っていたものに意識が向いた。
 それは、伊左衛門茶のペットボトル。私が好きな銘柄でもある。

「あ、飲み物ちょっとちょうだい。水筒の中身、もうほとんどないんだ」
「はいはい、どうぞ。全部は飲まないでね」
「ありがと」

 差し出した手に、ペットボトルが渡される。
 キャップを開けてぐびっと飲むと、ちょっとぬるくなったお茶の渋みが口に広がる。
 ここはちょうど日陰になっているから暑さはまだマシだったけれど、たくさん話したのもあって、のどが渇いていた。
 季人のものだからあまり飲みすぎないようにしないと、と気をつけたものの、口を離すとだいたい五センチは減っていた。……ぎりぎり、許される範囲だろうか。
 はい、とペットボトルを季人に返すと、なぜかため息をつかれた。

「咲姫はさ、もう少し自覚が必要だよね」
「? なんの?」

 いきなりそんなことを言われ、私は首をかしげる。
 飲みすぎだという意味だろうか。
 違う気はしつつも、他に思い当たるふしはない。

「ん〜、今はまだいいか」

 季人は苦笑をこぼし、勝手に自己完結してしまった。
 私にはわけがわからない。

「だから、何が」
「こっちの話」

 そうおざなりにごまかして、季人は私の頭をなでる。
 なんだか子ども扱いをされているような気がして、思わずむっとしてしまう。
 どうやら季人は説明責任を放棄するつもりらしい。
 今日の季人は、普段と比べて意地悪度合いが高すぎないだろうか。


 教えてくれてもいいのに、と私は唇を尖らせた。



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