特別でもなんでもないバレンタイン

 バレンタインというものは、恋する乙女にとっては特別な一日であって、勝負の一日でもあるのだそうだ。
 恋していないし乙女でもない私にとっては、まったく関係のないことなんだけれど。
 そんな私にも、小学一年生のときから毎年欠かすことなく贈っている相手がいたりする。
 ラブロマンスとはほど遠い、家族のような存在に。



「はい、季人。一ヶ月以上遅れのバレンタイン」

 そう言って季人に手渡したのは、一番大きなワンコインよりは少しだけ高い、チョコレートアソートの缶だ。
 今日は三月も下旬。今年度の学校が終わって、私は伯父の家に来ていた。
 今まで一シーズンに一回は、伯父さんの家に遊びに行くか、伯父さんたちが私の家に来るかで、季人とも会っていたのだけれど。
 なんと、今日から私はしばらく、伯父さんの家に住むことになったのだ。
 それに関しては親の事情で、私も納得の上。
 最低でも二年は私の部屋になる場所に荷物を置いてから、こうして季人の部屋に来た。
 伯父さんの家にお世話になることはけっこう前からわかっていたから、バレンタインチョコを渡すのもそのときでいいや、と後回しにしていた。
 まあ、毎年こんなものだから、季人も今さら気にしていないだろう。

「ありがとう、咲姫。じゃあ俺も、十日以上遅れのホワイトデー」
「あ、このメーカーのクッキーおいしいよね。ありがとう」

 季人が渡してきたのは、私の贈ったものよりも二回りは大きい、かわいらしくラッピングされたクッキーの缶だった。
 その包装紙に見覚えのあった私は笑顔でお礼を言う。
 ここのメーカーのクッキーはどれもおいしいけれど、ピーナッツクリームのクッキーが中でも一番好きだ。

「咲姫はもう手作りに挑戦するつもりはないの?」

 にこにこ、と人畜無害そうな顔で、古傷をえぐるようなことを言う。
 たしかに昔は毎年手作りチョコレートを贈っていた。だいたい小学生中学年くらいまでのことだ。
 なぜかその時の私は根拠もなく自信満々で、母さんに手出しさせなかった。
 そうしてできあがった代物は……黒歴史だ。思い出したくない。
 季人は一番の被害者だったというのに、どうしてそんな顔ができるんだ。

「……歯が折れそうなチョコの塊とか、食べたくないでしょ」

 思い出したくなくても勝手に脳裏によみがえってくる過去の失敗作の数々に、思わず顔をしかめる。
 溶かして固めるだけの工程で、どうして私はあんなチョコレートとも呼べないものを作れてしまうんだろうか。自分で自分が不思議だ。
 季人があれをどうやって消費したのかも気になるところだけれど、泣く泣く捨てていたりする可能性もあることを考えると、聞こうとは思えない。

「咲姫からもらえるものならなんでもうれしいけどなぁ」
「お腹壊すような手作りより、おいしいもののほうが絶対にいい」

 キッパリと私は言いきった。
 まずいものはまずい。どんなに気持ちがこもっていようと、その事実は変わらない。
 ましてや、好きな子からもらう本命チョコならまだしも、ただの従妹からの義理チョコだ。
 自分の料理作りの腕を見限っている現在、気の置けない従兄相手だろうと、手作りチョコレートなんて贈れるわけがなかった。
 家事全滅な私は、おとなしく既製品を贈っていれば何も問題はない。

「咲姫の作ったチョコが食べられるなら、お腹を壊したとしても本望だよ」

 ほんわりと、季人はやわらかな微笑みを浮かべる。
 本気でそう思っているように見えた。
 言っていることは地味にひどいけれど、誇張じゃないのだからそこは突っ込まない。
 それより何より、突っ込むべきことは他にある。
 私はじとーっとした目を季人に向けた。

「……シスコン。ドM」
「ひどい言われようだね。咲姫限定だよ」
「それもどうかと思う」

 はぁ、と私はため息をついた。
 季人のシスコンっぷりは相変わらず健在のようだ。
 呆れながらも、少しだけほっとしている自分がいるのもたしかだったりするから文句は言えない。
 数ヶ月ぶりに会った彼と、まるで昨日もその前の日もずっと一緒にいたかのように、こうして言い合いできていることがうれしい。
 年に数回は必ず会っていた従兄。
 同じ家で暮らすことになっても、季人との関係は変わることがないんだろうと、安堵の気持ちがわき上がる。
 そう思っているなんて、本人には絶対に言ってやらないけれど。

「そんなこと言いつつ、従兄思いの咲姫は来年はがんばってくれるんだって信じてるよ」

 にこり、と季人は少し意地悪な表情を見せる。
 まったく、この従兄は優しいだけの好青年かと思いきや、こんな一面も持っているんだから、一筋縄じゃいかない。
 とはいえそれもまた季人らしさなのだから、不快な気持ちはこれっぽっちもなかったりする。

「……勝手にすれば」

 ふい、とあさってのほうを向いて、私はそうとだけ返した。
 喜んでもらえるのなら、破滅的に苦手なお菓子作りにまた挑戦してみてもいいかもしれない。
 そんなふうに、ほんのかすかに考えたことを、見破られたのが悔しい。
 本当に、この従兄には敵わないな、と会うたびに思う。
 この、優しく人がよくて、私に底なしに甘くて、でも少しだけ意地悪な従兄との生活が、今日から始まる。
 楽しみじゃない、と言えば嘘になる。

 手作りチョコレートを贈るのかどうか。
 贈るとしたら、いったいどうやって食べられるものを作るのか。


 それは、来年の私に丸投げすることにしよう。



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