ブラウニーとバラの小箱

 バレンタインデーは、毎年施設の子どもたちと一緒にブラウニーを作って食べる日だった。
 学校の友人に贈ったことはあっても、異性に贈ったことなど一度もなかった。
 贈りたいと思うほど、気になる異性がいなかったから。
 けれど、魔界で迎える初めてのバレンタインデーは、今までとは違うものになりそうだった。



 仕事から帰ってきたアケヒと、二人でいつもどおり夕食を取る。
 いつもよりも少しだけ量が少ないことに、アケヒは気づいているだろうか。
 夕食だけでお腹をいっぱいにされては困るのだ。
 まだ、アケヒに食べてもらいたいものがあるのだから。

「あ、アケヒっ! デザートにブラウニー作ったんだけど、食べる?」

 食後、皿を片づけたあとにルミは言った。
 不自然にならないよう気をつけようと思っていたはずなのに、口にしてから唐突すぎたことに気づいた。
 アケヒも虚を突かれたようで、アイスブルーの瞳を丸くしていた。
 どうしよう。軽くパニックに陥りそうだ。

「オマエが菓子作るなんてめずらしいな」
「ちょ、ちょっと、気分転換に。ブラックチョコ使ったから、甘さ控えめだよ」

 アケヒが甘いものをそれほど食べないということもあって、ルミは普段、お菓子作りなんてしない。自分で食べる分は買ってすませてしまうからだ。
 ルミは料理もお菓子作りもその他の家事も完璧なミンメイと違い、料理はそれなりにできてもお菓子作りはあまり得意ではない。
 材料の分量はしっかり計って作っているけれど、どうやら手順に無駄が多いらしい。
 そのせいで生地がゆるくなったり、焦がしたり、ふくらみすぎたりと、地味に痛い失敗をしてしまうことが少なくない。
 そんなこともあって、お菓子作りというものに苦手意識を持っている。

 けれど、ブラウニーだけは施設のみんなと一緒に毎年作っていたから、それなりの味になっているとは思う。
 アケヒと一緒に買い物に行ったときにこっそり材料をそろえたり、ハルウの城に行ったときに分けてもらったり。
 何日も前から準備して、今日アケヒが外出している間に大急ぎで作った。
 ブラウニーはできたてもおいしいけれど、ルミは冷蔵庫で時間を置いて、しっとりとさせたもののほうが好きだ。
 ルミのおいしいと思うブラウニーを食べてもらいたくて、がんばったつもりだ。

「食べる」
「じゃ、持ってくるね」

 特に悩んだ様子もなくそう言ったアケヒに、ルミはほっとしながら台所へ向かう。
 乾燥しないようラップで包んであったブラウニーを取り出し、立体的に見えるよう皿に盛りつける。
 仕上げにココアパウダーを振りかけて、食後のコーヒーと一緒に持っていく。
 フォークで大きめに切ったブラウニーを口に運ぶアケヒを、ルミはドキドキしながら見守った。

「ん、悪くないな」
「よかった……」

 アケヒの言葉に、ルミは胸をなで下ろした。
 いつもどおり、おいしいとまでは言ってもらえなかったが、自信のないお菓子でそう言ってもらえたのだから満足だ。
 味見もしていたから大丈夫だろうとは思っていたけれど、食べ物には好みもある。
 特にアケヒは甘いものを食べないから、どうしても不安はなくならなかった。
 食べてもらえるだけでも万々歳とはいえ、贈る以上はおいしいと思ってもらいたかった。
 失敗しなくてよかったと、自然と笑みがこぼれ落ちた。

「今日、二月十四日だよな」

 何の気なしに、といった様子で、アケヒはつぶやく。
 ギクリとして、思わず身体が強ばった。

「な、なんのこと?」
「別にぃ?」

 しらばっくれるルミを追及することなく、アケヒはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
 ……これは間違いなく、今日がなんの日なのかわかっているようだ。
 どうやら魔界にもバレンタインという風習はあるらしい。
 それとも、過去に何度も人界に行ったことがあるアケヒだから知っているのか。
 どちらにせよ、ルミにとっては喜ばしくないことだ。

 ブラウニーを作ったのは、自己満足だった。
 今日告白するつもりもなく、ただ食べてもらえればそれだけでよかった。
 生まれて初めて、好きな人にチョコレートを贈ることができる機会に浮かれていたとも言う。
 それがすべて、バレているとしたら。
 恥ずかしすぎて、自分の部屋に閉じこもってしまいたくなる。

「ほら、オレもやるよ」

 ブラウニーを食べる手を止め、アケヒは何かをぽいっとルミに投げ渡した。
 受け取ったそれは、両手のひらに乗るほどの大きさの、正方形の小箱。
 薄ピンク色の小箱は、赤いサテンのリボンで飾られている。

「何、これ?」
「開けてみろよ」

 首をかしげるルミに、アケヒはそう言うだけ。説明してくれるつもりはないようだ。
 不思議に思いながらも、ルミはリボンを解いて箱を開けてみる。

「……!!」

 中に入っていたのは、ミニバラだった。
 より正確には、箱の中にミニバラが敷き詰められていたのだ。
 白にピンクに赤。色鮮やかなバラの花は、小さな箱の中で宝石のように輝いていた。

「かわいい!」
「当然だろ、オレが見立てたんだから」

 アケヒはふんっと鼻を鳴らす。
 その自信はどこから来るんだといつもなら突っ込みたくなっただろうけれど、今はそれ以上に感動してしまっていた。

「これって、あたしに?」

 ルミは顔を上げて、アケヒに尋ねてみる。

「それ以外に何があんだよ」

 アケヒは少し不機嫌そうに眉をひそめて、そっぽを向いてしまった。
 それが照れているときの顔だと、ルミは知っていた。
 どうやら、このバラの小箱は間違いなく、ルミへの贈り物のようだ。
 うれしくて、うれしすぎて、涙が出てきそうだ。

「……魔界にも、バレンタインってあるんだ」
「ある。しかも、いろんな国の風習が混じっててカオス」
「そういうのもいいね」

 ふふっとルミは笑った。
 また一つ、魔界のことに詳しくなれた。
 ルミのいた国では、女性から男性にチョコレートを贈るバレンタインデー。
 アケヒがしたように、男性から女性に花を贈るのは、他国のバレンタインデー。
 きっと、他にもいろんなバレンタインが、今日そこかしこで行われているんだろう。
 そう考えると、魔界は雑多なおもちゃ箱のようで、素敵な場所だ。

「だろ?」

 アケヒはルミに視線を戻して、ニヤリと口端を上げた。
 そんな顔ですら格好いいんだから、アケヒはずるい。


 がんばろうと思ったバレンタインに、ルミはまた、アケヒに惚れ直してしまった。



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