街の表通りから一本奥に入ったところにある、一見アンティークショップに見える紅茶屋さん。
一風変わった紅茶の葉が売られている店で、あたしは店主と睨み合っていた。
正確には、睨んでいるのはあたしだけで、店主は何を考えているのかわからない笑みを浮かべていたけれど。
「毒を飲め、って言いたいわけ?」
慎重に言葉を選びながら、あたしは嫌みったらしい口調で尋ねた。
あたしの目の前には、高そうなティーカップ。中には透明な赤茶色の液体。つまりは、紅茶。
茶葉を買いに来ただけなのに、どんな効果があるかも知れない紅茶を出されたのだ。
出されたものを素直に飲むほどバカじゃない。
この店主が食えない人間だ、ということはよく知っていた。
「毒ではなくただの紅茶ですよ」
紅茶色の瞳を細めて、店主は答える。
声にも言葉にも表情にも、少しの動揺も見られない。
きっとこの店主は、息を吐くように嘘をつくことができる。
「あんたの出す紅茶がただの紅茶とは思えない」
「これはこれは、信用がないんですねぇ」
困りましたね、信用を買っていただく商売ですのに。なんて白々しいことを言う。
茶葉を売っているだけなのに、いったいなぜ信用が必要あるのか。
それは、この紅茶屋が、普通のものとは違う茶葉を売っているからだ。
この紅茶屋は、街のみんなから幸茶屋と呼ばれていた。
この店の紅茶の葉には、しあわせになれる魔法が込められている、と。
初めは半信半疑だったあたしも、数ヶ月前の祭りの日に出された紅茶を飲んだとき、理解せざるをえなかった。
不思議な力というものは本当にあるんだと。
だから、あたしはこの店の紅茶の力を借りることにした。
「あたしはただ、紅茶の葉を買いに来ただけ。あんたはあたしの欲しい茶葉を売ればいいの」
「ですから、先ほども申しましたように、紅茶の葉を買ってくださる方にはみなさんに一杯の紅茶をサービスしているのです」
「サービスっていうのは、無理やり押しつけるものじゃないと思う」
「飲まないというのでしたら、私はそれでも構いませんよ。信用していただけないお客様には、残念ながら私の紅茶をお売りすることはできませんが」
ふふふ、と店主は謎の微笑みを口元にたたえている。
ぐっ、とあたしは唇を噛んだ。
茶葉を売ってもらえなかったら、せっかく来た意味がない。
何日も、何十日も悩んで、やっと勇気を出して買いに来たというのに。
「……足元見やがって」
イライラが募って、行儀悪く舌打ちする。
どんな効果があるかわからない紅茶なんて、正直飲みたくはない。
でも、茶葉を手に入れるためには、目の前の紅茶を飲まなきゃいけない。
なら、もう、あきらめるしかない。
「いいよ、飲めばいいんでしょ飲めば。どんな毒でも、死にゃしないならそれでいい」
さすがの店主だって、人殺しにはなりたくないはず。
たとえ、腹を下すだとか、身体がしびれるだとか、骨がギシギシ痛むだとか、頭痛に悩まされるだとか。
毒と言っても、きっとその程度だ。
そこまでやわな作りはしていないから、たいていの症状なら我慢できるだろう。
ティーカップをガッと掴んで、中身を一気に飲み干した。
「もっと味わって飲んでいただきたかったのに……」
がっかりとした顔を見せる店主に、あたしはティーカップを突き返す。
「味なんてどうでもいい。ほら、これで売ってくれるんでしょ」
「ええ、どうぞ。こちらになります」
すでに用意していたのか、店主は即座に茶葉の入った袋を差し出してきた。
手にとって確かめてみると……それは、開封済だった。
「……開いてるんだけど」
「ちょうど淹れたところですので」
にっこり、と効果音のつきそうな笑み。
あたしはしばし呆然とし、それからハッと我に返った。
「……あんたまさかっ!」
「そろそろ効いてきましたか?」
確認するよりも先に、店主はそう問いかけてきた。
それは、あたしの予想を裏づける言葉。
盛られたんだ、とようやく気づいた。
毒とは少し違う、けれど毒よりも厄介なものを。
店主がカウンターを越えて、あたしに近づいてくる。
あたしは逃げることもできずに、ぎゅっと茶葉の入った袋を握る。
店主の、細くてきれいな指が、こちらに伸ばされて。
まるで産毛を撫ぜるように、優しくあたしの頬に触れた。
「ああ、正常に作用しているようです。顔が赤い。胸もドキドキしてきたでしょう?」
店主の言うとおり、さっきから心臓がうるさい音を立てていた。
顔だけでなく全身が燃えるように熱くて、頭が正常に働いてくれない。
少しでも油断したら、涙がこぼれ落ちてしまいそうなほどに、気が高ぶっていた。
これもすべて、今飲んだ紅茶のせいなんだろうか。
そう、あたしが店主に頼んだのは、『惚れ薬』だ。正確には惚れ紅茶と呼ぶべきかもしれないが。
「な、な……なんで、あたしに」
声がかすれる。吐く息すら熱いことを自覚させられる。
うまく言葉を紡げなかったけれど、きっと店主はあたしが何を言いたいのかくらいわかるだろう。
「効能を確かめるのには、自分で飲んでみるのが一番でしょう?」
「ば、ばっかじゃないの……」
罵倒にも力がこもらない。
頬に触れる手の感触に、ぞわぞわとしたものが這い上がってくる。
ああ、間違いなく、店主の紅茶には魔法が込められている。
魔法ってのは、キラキラとした素敵なものだけじゃない。時には人を困らせるものでもある。
そんな、うれしくもない再確認をしてしまった。
「大丈夫、この紅茶の葉の効力は半日ほどしかもちません。恋に落ちたかのような熱も、胸の高鳴りも、紅茶によるものだと知っていれば錯覚を起こすことはないでしょう。所詮は、ただの紅茶ですから」
あたしとは正反対の、冷ややかにすら聞こえる声で店主は語る。
ぼんやりとした視界の中で、店主は自嘲気味に微笑んでいた。
なぜ、そんな顔をするんだろうか。
思考はすぐに途切れてしまい、考えがまとまらない。
「だから、今だけは私に恋をしていてください」
店主はそう言ったかと思うと、あたしを強く抱きしめた。
背中に回された腕は、離さないとばかりに力が込められていた。
伝わってくるぬくもりも、心なしか熱い。
心臓がバクバクと鳴り響いて、このままだと壊れてしまいそうだと思った。
もう、何も考えられない。
「……恋なんて、ずっとしてる」
「え?」
ずっと心に秘めていた想いが口からこぼれた。
頭が真っ白で、言ってはいけない、という自制心すら働かない。
「ずっと、ずっと、あんたのことが好きで、あたしだけを見てほしくて、でもどうしたらいいのかわからなくて。本人の魔法に頼るくらいしか、思いつかなくて……」
数ヶ月前のお祭りの数日前、子どものころから一緒に育った家族のようなペットが他界した。
お祭り当日も不幸のどん底にいたあたしは、彼の紅茶と彼の笑顔に救われた。
たった一瞬で恋に落ちるなんて、信じられなかった。
まるで魔法のようだと思った。
その魔法は、どれだけの時間が経っても解けなかった。
生まれて始めての恋に、振り回されて、つらいこともあって、でも楽しくてしあわせで。
この恋を、どんな手を使ってでも叶えたくなった。
「なのに、こんなの……」
じわりと目に涙がにじむ。
ひどい、とつぶやくと、店主の肩が震えたような気がした。
彼の魔法によって、こんな目にあっているなんて。
胸の高鳴りが、紅茶のせいなのか、恋心によるものなのか、まったくわからない。
これは、彼の魔法を悪用しようとした罰なんだろうか。
「その……すみませんでした」
店主は小さな声で謝り、抱きしめていた腕を解く。
店内は快適な室温に保たれているはずなのに、寒いと感じた。
もっと、抱きしめられていたかった、と、彼を恋い慕う心がわがままを言ってくる。
沈黙したまま店主を見上げると、店主はその頬をかすかに赤らめていた。
「……効力が切れたら、もう一度言ってください。好き、と。それだけで充分ですので」
何も考えられない頭で、ぼんやりと店主の顔を眺める。
どうして、そんなことを言うんだろうか。
どうして、彼の顔が赤いんだろうか。
どうして、頬を撫でる手が、宝物に触れるみたいに優しいんだろうか。
「そうしたら、紅茶の魔法なんて、必要なくなりますから」
店主は照れ笑いを浮かべながら、そう告げた。
その言葉の意味を理解するのに、あたしは相当な時間を必要とするのだった。