恋しい恋しいと泣く君がいとしい

 俺、柳田晃樹には、恋愛体質の幼なじみがいる。
 七つ年下の幼なじみ、桜井美枝は、小学生のころからの筋金入りの恋愛体質だ。
 いつだって好きな人がいて、高確率でその片思いを実らせる。
 そして残念なことに、その実ったはずの恋は、今まで一度も半年と続いたためしがない。

「晃ちゃ〜ん……」

 仕事を終えて家に帰ると、俺の部屋で幼なじみが泣いていた。
 それを見た瞬間、またか、と俺は肩を落とした。
 母さんから来ていると聞いて、もしかしてと思ったが、見事的中してしまったようだ。
 今回は三ヶ月以上続いていたから、このまま何事も起きないことを願っていたのだけれど。
 この様子から察するに、いつものように恋人に振られたらしい。

 美枝は恋人と別れるたびに、俺のところにやって来る。
 晃ちゃん、話を聞いて! と。
 正直、男と別れたその足で他の男のところに来るな、と思わなくもない。
 美枝に他意はなく、単純に慰めの言葉が欲しいだけだということはわかっている。友人にはすでにさじを投げられているらしいから。
 昔から懐いてくれている幼なじみを邪険にできない俺は、美枝からしてみれば格好の餌食なんだろう。
 今度の理由はなんだ? 浮気か? 金銭トラブルか? それとも愛の重さか?

「まあ、まずは泣きやめ」

 泣きすぎてすごい顔になっていたので、俺はティッシュ箱を手渡した。
 勢いよく鼻をかむ美枝を見るかぎり、どん底というわけではなさそうだ。
 わりとすんなりと別れられたんだろう。
 美枝の心情は、別として。

「で?」

 俺はスーツの上を脱いでハンガーにかけてから、ベッドに座っている美枝の隣に座る。
 間に人が一人座れるくらいの距離をあけた理由は、彼女は知らないだろう。

「聞いてくれる?」

 赤くなった目で、美枝は俺を見上げてくる。
 その視線に何も思わないほどには、枯れていないのが困ったところだ。
 もちろんそんなことは絶対に悟らせたりはしないけれど。

「話したいんだろう」
「うん!」

 力強くうなずいて、美枝は語り出した。
 一ヶ月ほど前から、だんだんとメールの返信が遅くなったり、メール本文が短くなったりということには気づいていたらしい。
 でも、同じ高校で同じ学年。学校でほぼ毎日会っているのだからと、そこまで気にしてはいなかった。
 話したいことがある、と言われたのは昨日の夜、メールでだった。
 登校時や昼休みには、あとで話すね、とにごされ。
 帰り道、別れを切り出されたのだという。
 自分も美枝も受験生で、勉強に専念しないといけないから、と。
 しばらく距離を置くだけじゃ駄目なのか、という美枝の提案にも、彼は首を縦には振らなかった。
 ごめんね、今までありがとう。彼は最後にそう言ったらしい。

 よくある話だな、と俺は非情かもしれない感想を抱いた。
 本当に受験勉強に集中したいのか、単にもっともな理由づけをしただけなのかはわからないが。
 変にごたつくようなことがなくてよかった。
 男の態度がはっきりしていなかったりして、きれいに別れることができないと、美枝はもっと荒れる。
 浮気をされたときが一番ひどかった。過去に三回ほどあったけれど。

「どうしてなんだろう。
 いつも、この人なら! って思うのに」

 話しているうちに思い出してきたのか、美枝はまた涙目になっている。
 感受性豊かなのはいいことだけれど、泣かれるのは正直つらい。

「恋愛なんてそんなもんだろ」
「だけどさ、私、振られてばっかりだよ。
 もしかしたら私に原因があるのかな……って、思っちゃうよ」

 うつむきがちに、美香はそうこぼした。
 その原因とやらの一端を、俺はよく理解していた。
 美枝は一途だ。好きな人には尽くしまくる。
 けれど、そもそも美枝は元から人懐っこい性格をしている。
 誰ともすぐに打ち解け、仲良くなることができる。
 それは、男女関係なく。

 美枝の性格は、恋が実るまではむしろプラスに働く。
 逆に、恋が実ってからは、恋人を不安にさせやすいというマイナス要素になってしまう。
 そしてそのことを、美枝自身はあまりわかっていない。
 恋人にも平気で『幼なじみの晃ちゃん』の話をするというんだから、どうしようもない。
 どの恋も本気だったとはいえ、過去にたくさんの男と付き合っていて、すぐ近くにも男の影。不安になるなというほうが無理な話だ。
 今回別れた男だって、実のところ本当に受験勉強だけが理由だったとは、俺には思えなかった。それなら美枝が提案したように、しばらく距離を置けばいいだけのはずだから。

「何がいけないのかなぁ……」

 俺の枕を胸に抱きながら、美枝はため息をつく。
 言ってやればいいのだろうか。
 俺に会いに来るなと。恋人に俺の話をするなと。
 似たようなことは何度も注意しているのだけれど、理解しないのは美枝のほうだ。
 それが言い訳であることは、自分でもわかっていた。俺も強い口調で咎めたことがないのだから。
 会いたいと、俺自身がそう思ってしまっている。
 幼なじみが俺を頼らなくなって、俺から離れていくときが来ることが、怖かった。

「好きでも、うまくいかないときだってあるだろ」
「晃ちゃんも?」

 何も知らない、何も気づいていない美枝は、無邪気に問いかけてくる。
 目の前にいる男が、どんな瞳で自分を見つめているのか。
 多少は態度にも出てしまっているはずなのに、彼女は察してはくれない。

「……そうだな」

 俺は苦笑しながら同意した。
 何度、この想いを消したいと思ったことかしれない。
 美枝よりもきれいな女性に言い寄られたことだってある。大人の付き合いをしたことだってある。
 けれど結局、うまくはいかなかった。
 こうして会ってしまえば。名前を呼ばれてしまえば。視線を交わしてしまえば。
 自分の気持ちなんて、故意に変えることなどできないのだと、嫌でも思い知らされた。

「失恋ってさ、悲しいよね。
 消えちゃいたくなるくらい、つらいよね」

 枕に顔を半分うずめながら、美枝は独り言のようにつぶやく。

「愛されたいよう……」

 ついにその声は涙声になった。
 ぼろぼろと瞳から涙がこぼれていく。
 泣き方はお世辞にもきれいと言えるものではなかった。
 なのに、心臓をわしづかみにされたような感覚におちいる。
 ああ、もう。
 どうしてこんなに、ままならないのか。

「……晃ちゃん?」

 名前を呼ばれて、俺は我に返った。
 気づいたら、一人分の距離をつめて、美枝を抱きしめていた。
 間に挟まれた枕のせいで、なんとも格好がつかない。

「あ、いや、その……泣くなら、胸くらい貸してやろうかと思って」
「何それ」

 腕の中のぬくもりを離したくはなくて、言い訳を口にした俺に、美枝は少しだけ笑ってくれた。
 いけない、高校生相手に何をやっているんだ、俺は。
 先月誕生日が来たから、十八歳以上だとはいえ。
 いや、十八歳未満にしてはいけないようなことをするつもりは決して、ない、つもりだ。
 心の中で弁解をしながらも、俺は美枝を離せずにいた。

「いつか、ちゃんと美枝を愛してくれる人が現れるよ」

 ぽんぽん、と俺は美枝の頭をなでる。
 彼女の幸せを願う気持ちが伝わるようにと、できるだけ優しい手つきで。
 泣きたいなら、好きなだけ泣けばいい。
 悲しいのを我慢して笑われるよりは、ずっといい。
 そんなふうに毎日を一生懸命に生きるのが、美枝の長所なのだから。

 美枝は恋愛体質だ。毎度毎度、本気で恋をする。
 それを俺は一番間近で見てきた。
 片思いしている日々が楽しそうな美枝も。恋人がいる毎日がバラ色の美枝も。
 こうして、恋に破れて、深く深く傷つく美枝も。
 だから、願わずにはいられない。
 いつか美枝に一生の幸福を与えてくれる人ができることを。
 ……それが自分だったら、と思ってしまう気持ちも、あったりはするのだけれど。

「そうかなぁ。そうだといいなぁ」

 その声はやっぱり涙でかすれていた。
 泣くにも本気なものだから、本当に不細工な泣き顔なのに。
 それすらも愛おしく思えてしまうのだから、重症だった。

「胸、しばらく貸して」

 ぎゅ、と。俺の背中に回された手が、シャツをつかむ。
 それだけで、鼓動が跳ねたことに、どうせ美枝は気づかない。
 今は、それでいい。
 傷心につけ入るようなことはしたくない。
 少しずつ、少しずつでいい。
 今は、俺を必要としてくれるだけで、充分だ。
 けれどいつか、男として見てくれたなら。

「鼻水はつけるなよ」

 そんな望みを隠して、俺は茶化すようなことを言った。


  * * * *


「決めた!
 私、しばらく恋はしない!」

 結局、俺のシャツはびしょびしょにされた。涙以外のものも付着したかどうかは、言及しないでおく。
 泣きやんだ美枝は、真っ赤な目とすっきりとした顔でそう宣言した。

「前もそんなこと言ってたけどな」

 俺は思わずツッコミを入れる。
 むしろこれで何度目だ、その台詞。

「今度は本気だよ。
 私だって受験勉強しなきゃだしね」
「はいはい」

 意気込みは結構だけれど、そんなもの恋に落ちてしまえば気にならなくなるのが美枝という人間だ。
 いつまでそんなことを言っていられるだろうか。
 ひと月とせずにまた好きな人ができるという予想は、きっと外れないはずだ。

 いいよ、何度でも失恋すればいい。
 こうして話くらいはいくらでも聞いてやるから。
 美枝が必要としてくれるかぎり、俺は美枝の傍にいる。
 だからいつか、気づいて。


 一番近くにいて、一番美枝の幸せを願っている男の存在に。
 七つも年下の女の子に、心底惚れ込んでしまっている哀れな男の存在に。



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