彼の心、彼女知らず

「ねえ、みー。はっきり言って、めっちゃ脈ありだと思うわけよ、あたしとしては」

 昼休み、そう唐突に言い出したのは、小学生からの親友、むっちゃんだった。
 倉橋睦美だから、略してむっちゃん。この愛称はあんまりかわいくないってむっちゃんは言うけど、そんなことはないと思う。
 その代わりというか、むっちゃんは私をみーと呼ぶ。宮乃だから、みー。猫みたいで気に入っている。

「脈あり?」

 お弁当をつつきながら、私は首をかしげる。
 なんの話なのかわからなかったから。

「弘樹さんのこと」

 形のいい眉を吊り上げて、真剣な顔を作ってむっちゃんは言う。
 そういう表情をすると本当に美人さんだよねぇ。
 と、一瞬現実逃避をしたくなった。
 だけどむっちゃんがそんなことを許してくれるはずがない。
 仕方なく、私はため息をついてから現実に向き直ることにした。

「そうかなぁ? 弘くん、いっつも私のことからかうんだもん」

 私からしてみれば、なんで弘くんが脈ありだなんて思うのか訳がわからなかった。
 弘くんは大人だ。社会人の弘くんから見たら、いくら大学生になったからって、私なんてまだまだ子どもだろう。
 自分の考えに落ち込みそうになりながら、きんぴらごぼうをしゃくしゃくと食べる。
 最近やっとごぼうを克服したばかり。そういうところも子どもだと思われる原因かもしれない。

「たとえば?」
「簡単にかわいいとか言うし、手を握ったり抱きついてきたり。一度なんて頬っぺたにキスしてきたんだよ!?」

 私はついつい声を荒らげてしまった。
 その時のキスを思い出して、頬に熱が集まってくる。
 あれは去年の秋にコスモスを見に行ったときのことだった。大学合格のおまじないとか言っていたけれど、むしろそれから数日は勉強が手につかなくて大変だった記憶がある。
 弘くんはスキンシップが激しすぎる。それが素なのかわざとなのかはわからないけど。
 片思い歴八年近くになる私は、弘くんの一挙一動に動揺させられてばかり。
 触れられれば、ドキッとする。抱きしめられると、胸が苦しくなる。キスなんてされたら、心臓が止まってしまいそうになる。
 弘くんは私を殺す気だろうか、なんてたまに本気で思う。
 それくらい、私は弘くんに振り回されている。
 惚れた弱みって、こういうことなのかな。

「あのね、みー。そんなこと普通はしないの。好きな人相手でもなければ」

 むっちゃんは呆れたような表情でそう言う。
 でも、その言葉に同意はできない。
 そうだったらいいとは思ってしまうけど、そんなに楽観的には考えられない。

「わかんないよ、弘くんだもん。きっと私の反応をおもしろがってるんだよ」

 弘くんは少し意地悪だ。
 私がもっと小さいときなんて、よく嘘を教えられてからかわれた。
 スキンシップにいちいちあわてる私を楽しそうに見ているような気がするし。
 冗談だって言われたほうが納得できてしまう。
 そんなお茶目なところも、好きだなぁなんて思ってしまうから始末に負えない。

「信用ないのね。弘樹さんが哀れだわ……」

 先に食べ終わったむっちゃんは、お弁当箱をしまいながらため息をつく。
 弘くんに同情でもしているかのような言いように、私はむっとする。
 むしろ私に同情してほしいくらいなのに。

「だってさ、もし好きなら、ちゃんと告白してくれると思うんだよね。弘くん、中途半端なこと嫌いだから」

 私が楽観的になれない理由の一つは、それだ。
 きっとずっと前から、弘くんは私の気持ちに気づいている。
 私は嘘をつくのだとか、隠し事をするのがすごく苦手だから。
 はっきり言葉にしたことはないけれど、言葉の端々から、態度から、伝わっちゃっているだろう。
 なのに弘くんは何も言わない。
 私の気持ちを確認することもなければ、弘くんの気持ちを教えてくれることもない。
 それが何よりの答えなんじゃないかって、私は思っている。

「何か理由があるのかもよ?」
「何かって何?」
「それはわかんないけど」

 二人して首をかしげる。
 むっちゃんがどんなことを想像しているのかわからない。
 何か、なんて別にどこにもない。
 弘くんは私のことを子どもだと思っていて、からかっている。
 きっとそれが正解だ。

「だいたい、好きなのに告白しないのはみーも一緒じゃない」

 むっちゃんの鋭い指摘に、私はギクリとする。
 そのとおりだ、自分は何もしていない。
 文句を言う資格なんて本当はない。

「私は、だって……怖いんだもん」

 ぽつりと、私は胸のうちをこぼす。
 誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

「こまめにメールやり取りして、ちょくちょく家に遊びに来てくれて、たまに一緒にお出かけもできる。今でも充分しあわせなんだもん。もし告白して振られちゃったら、きっと今までどおりじゃいられない。そんなのは嫌だよ、私」

 つらつらと語ってから、大きく息を吐く。
 ため息と一緒に気持ちも外に逃がせたらいいのに。
 そうしたら、弘くんへの想いで胸がいっぱいになってしまうこともない。
 悩んで悩んで、それでも答えが出なくて、苦しくてもどうすることもできなくて。
 恋は甘いだけじゃない。
 不安もあるし、不満もある。
 でも、どんなにつらくても簡単にやめられるものじゃない。
 恋って、厄介だ。

「策士策におぼれる、かしらね」
「何それ?」

 小さくつぶやかれた言葉に、私は反応する。
 策? なんのことだろう。

「なんでもない。別に、あたしはみーと弘樹さんがうまくいこうがいくまいが、どっちでもいいし」
「むっちゃん、冷たい」

 ここは普通は、応援してるよ、って言うところなんじゃないかな。
 そんなドライなところもむっちゃんらしいけど。
 非情というか、友だちがいがないというか。
 もうちょっと言いようがあるんじゃないだろうか。

「振られたら慰めたげるわよ。その心配はないでしょうけど」

 ぽんぽんと、むっちゃんに頭をなでられた。
 どうしてそんなふうに思うんだろう。
 むっちゃんが何を考えているのか、むっちゃんには何が見えているのか、私にはわからない。
 楽観的に捉えられない一番の理由は、自信がないから。
 弘くんに釣り合う大人の女性になれたらいいのに。
 現実は厳しい。いまだに私は子どもっぽくて、どうやったら大人になれるのかと思い悩むばかり。
 もう少し大人になったら、たとえば二十歳になったら。
 今よりは自分に自信を持てるんだろうか。

「……あのね、ほんとは私もわかってる。今の関係に甘えて、いつまでも中途半端なままでいちゃダメだって」

 お弁当を食べる手を止めて、私はそう口にする。
 長い片思い。人生の半分近く、もうずっと弘くんに恋をしている。
 お友だちの妹として、かわいがってはもらえていると思う。
 その関係を壊したくなくて、今まで何も伝えられずにいたけれど。
 それじゃ、きっといけないんだ。
 もっと勇気を持たないといけない。
 今の関係を壊して、新しい関係を築く勇気を。

「私、一回も気持ちを伝えたことないんだもん。もし振られちゃっても、振り向いてくれるまであきらめない! ってくらいの気持ちでいないとね」

 告白を受け入れてもらえなかったとしても、そこで全部終わってしまうわけじゃない。
 何度でも挑戦すればいい。人を好きでいることは自由なんだから。
 あきらめられないなら、そうするしかない。
 玉砕するのは怖いけれど、それくらいの覚悟は必要だ。

「そうね。そのほうがみーらしいと思う」

 むっちゃんは優しい微笑みを向けてくれた。
 そうだよね。後ろ向きなばかりじゃ、ダメだよね。

「ちゃんと、考えてるよ。告白するタイミング」

 実はもう、計画はしてあった。
 タイミングのいいことに今は冬だ。
 臆病者の背中を押してくれる、恋する乙女のためのイベントが、すぐそこに控えている。

「がんばれ、みー」
「うん!」

 むっちゃんの応援に、私は力強く答えた。
 まだ少し、怯みそうになる自分がいるけれど。
 振られても、きっとむっちゃんは慰めるんじゃなくて、鼓舞してくれるだろうから。
 がんばらないと、と私は思うことができた。



 運命のバレンタインデーまで、あと一ヶ月。



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