婚姻の儀まであとひと月足らず、という頃。
火燐が倒れた、という報せに、清司はすぐさま火の一族の屋敷へと馬を走らせた。
人の身に過ぎた力は持ち主の言うことなど聞かず、彼女が体調を崩すことは、それこそ幼い頃から日常茶飯事だった。
それでもここ数年はわりと安定していたのだが、婚姻に向けての準備の疲れが出たのかもしれない。
火燐の力を抑えるのは、婚約者である清司の役目。
彼女が苦しむ姿を、弱っている姿を、清司はこれまで数えきれぬほど傍で見てきた。
そしてそれは婚姻を結んだ後も変わることはないのだろう。
けれど。
ああ、もっと。もっとはやく、と願う。
「気分はどうだい?」
数刻後、ようやく意識が明瞭となった火燐に、清司は問いかける。
まだ床から上がることは許されていないが、それでも清司が来てすぐと比べれば格段に顔色がよくなっている。
病的に赤くなっていた肌に玉のように浮かんでいた汗も、今は引いていた。
「だいぶ……楽になったわ」
「それはよかった」
心から安堵して息を吐けば、火燐は弱々しく微笑んだ。
繋いでいた手がきゅっと握られる。
「私、昔からこうやって清司に心配と迷惑をかける自分が、嫌いで仕方なかったの。でも……心配してもらえることは、とても嬉しかった」
やはりまだ疲労の色は見えるものの、彼女の表情は柔らかい。
婚礼衣装の一件以来、火燐はそれまでより心の内を曝け出してくれるようになった。
清司の想いを信じている――いや、信じようとしてくれているのだろう。
婚姻を目前にして、ようやく二人は本当の婚約者になれたのかもしれない。
けれど、一つだけ訂正しなければいけないことがある。
「迷惑だなんて思っていないよ」
「ええ、知ってるわ」
くすくす、と火燐は笑う。
微かなその笑い声は、快活な彼女らしくないたおやかさを感じさせられて、妙な感覚になる。居心地が悪い、とでも言うべきか。
弱った火燐は幾度も見ているが、だからといって慣れるものでもなかった。
「ありがとう、清司」
来てくれて。そして、心配してくれて。
と、言葉にされなかった声を清司は聞いた。
「僕は当然のことをしているだけだよ」
清司はそう苦笑するしかなかった。
水の力で、火燐の身の内で燃え盛る火を抑える。それはいつも清司の役割だった。今さら、誰にも譲るつもりなどない。
心配することにしても、清司にしてみれば自然な心の動きでしかなく、やはり礼を言うようなことではないだろう。
火燐は清司の婚約者だ。そしてもうすぐ妻となる。
そうと決められているから、ではない。周囲の思惑はこの際関係ない。
火燐は、清司にとって誰よりも愛しい、半身。
「……だから、早く元気になって」
いつものように、目映い光のような笑顔で僕を照らして。
火燐も、清司の言葉にしなかった本心を聞いたかのように、ふわりと笑ってみせた。
もっと。もっとはやく、と願う。
早く婚姻を結びたい。早く火燐と共に暮らして、そうして。
誰よりも一番に、彼女の元に駆けつけられる場所にありたい、と。
彼の願いが叶うのは、もう間もなく――。