最初から手に入らないものなら、手に入りません、って顔をしていてほしかった。
中途半端に優しくして、期待させて、そのたびにどん底まで突き落とされるような、そんな恋なんていらなかった。
私の好きな人……ううん、好きだった人は、とても優しい人。
優しくて、誰にでもいい顔をして、いつも貧乏クジを引いちゃうような人。
なのにいつもにこにこしていて、自然と人の心の中にまで入ってきちゃうような人。
誰にでも、もちろん女の子にも優しかったから、たくさんモテていた。
学年が違ったって聞こえてくるくらい、よく噂になっていた。
一つ年上で、どちらかというと格好いい部類に入る、幼なじみの悟。
他の女の子たちよりも、三歩分は近くにいる、って思っていた。
幼なじみだから、っていうのは卑怯くさいのかもしれないけど、それでもうれしかった。
コソコソ陰口言われたって、悟の隣にいられるならそれでよかった。
それくらい、悟のことが好きで、好きで、好きでしょうがなかったから。
最初に気づいたのは、高校生になった悟に恋人ができたとき。
告白されて、断りきれなかった。そう言っていた。
でも、一緒に登下校して、休日にはデートもして、ちゃんと彼氏彼女っぽかった。
彼女さんは、三歩分の距離を、あっという間に飛び越えてみせた。
優越感は粉々に砕け散って、残ったのは惨めな思いだけ。
恋人がいても、悟は今までわたしに接してきた。
それに余計に、私はただの幼なじみでしかないんだ、ということを思い知らされた。
傷ついても、好きだって気持ちは変わらなくて、追いかけるようにして同じ高校に通うようになった。
ここでも悟は変わらず人気者だということを知る。
そして、悟の恋人はそれなりのペースで変わっていく。
優しい悟は、告白されると断れない。別れよう、と言われても引き止められない。
優しいだけで物足りない、という元カノさんの文句を偶然聞いてしまった。
ちゃんと好きになってくれない、と泣いていた元カノさんも偶然見かけてしまった。
悟は優しいんじゃない。ただ優柔不断なだけなんだ。
やっと、そう気づいた。
悟に恋人がいないときは、当たり前のように一緒に帰っていた。
それは昔からの習慣だったから、疑問にも思わなかった。私も、悟も。
こうして一緒にいられるだけで、私はしあわせだった。
そのはずだった。
でも、いつのまにかバカみたいに欲張りになっていたみたいだ。
帰り道の途中、歩みが遅くなった私を心配するように自然に伸ばされた手を、私は振り払っていた。
「もう、疲れた」
口からそうこぼれ落ちた。
どうしたの、という悟の声は右から左へ抜けていく。
いつもどおりの優しそうな笑みで、子どものわがままを聞くように。
私が何を言っても、悟は変わらない。そんなことに今さら気づかされた。
どんなわがままを言っても悟は優しいからそれを叶えようとするだろう。
でも、それは私が“特別”だからじゃない。幼なじみだから。
誰にでも優しい悟。優柔不断で、残酷な悟。
「あのね、私、悟のことが好きだったの」
幼なじみの関係を壊すのが怖くて、今まで言えなかったことなのに。
その言葉はあっけないくらいにするりと出てきた。
「すごく、すごく、好きだったよ。
誰よりも何よりも大好きだった」
泣きたくなくて、笑ってみせた。
これで最後だと思ったから。
これで最後にしたかったから。
「悟の恋人になりたかったけど、なりたくなかった。
だって、悟は告白されたら誰とでも付き合えちゃうんだもんね」
嫌味ったらしく聞こえるかもしれないと思いながらも、止まらなかった。
今までためてきたプラスの想いもマイナスの思いも、すべてぶつけてしまいたかった。
そうして、少しでも悟の傷になることができたなら、しあわせかもしれない、と思った。
私はたくさんたくさん、悟のせいで傷ついたから。
勝手に好きになって、勝手に傷ついた。ただの自業自得だけど、少しくらいはお返ししたい。
「もうこれ以上、優しくしないで。
悟の優しさは、冷たさと一緒だよ。
誰にでも優しくするくらいなら、誰にも優しくしなきゃいいんだよ」
こんなのただのわがままだ、とわかっていた。
本当は、他の誰でもない、私だけに優しくしてもらいたかった。
優しくされて、欲張りに育ってしまった恋心が、悟を恨んでいた。
もう、一言だって、悟の優しい言葉は欲しくなかった。
「幼なじみでいられなくてごめんね。バイバイ」
言いたいことをすべて言って、私は身をひるがえした。
これからは一緒に帰ることもないだろう。
お互いの部屋でだらだらすることも、勉強を教えてもらうことも、二人で遊びに行くこともない。
そんなの、私が耐えられないから。
なのに、なのに。
どうして私の手は、悟に握られているんだろう。
「なんで、引き止めるの!
優しくしないでって、言ったのに……!」
振り返らずに、叫んだ。
せっかく我慢していたのに、涙がボロボロとこぼれた。
こんな顔、悟には見せたくなかった。
本当に大好きな人だったから。
笑顔を、覚えていてほしかったから。
「なんで過去形なの?」
その声は、いつものものとはどこか違っていた。
苛立ちを含んでいるように私には聞こえた。
驚いて、うっかり振り返ってしまう。
悟は、いつもの笑みを浮かべてはいなかった。
笑顔と引き換えに、初めて見る不機嫌そうな顔をしていた。
夕日に照らされたその表情は、妙な迫力があって、怖かった。
「好きだったって、どういうこと?
今は好きじゃないの?」
悟は真剣な瞳で問い詰めてくる。
鋭いまなざしに、私は何も言葉を返せなかった。
ただ、これは誰だろうか、なんてアホなことを考えていた。
それくらい、いつもの彼とまるで違った。
「ねえ、志津。
もう僕のことは好きじゃない?」
切なそうな、泣き出す一歩手前みたいな表情で、悟は尋ねてきた。
そんなの、答えは一つに決まっているじゃないか。
考えるよりも先に、口を開いていた。
「……好き……だよ。
簡単に、嫌いになれるわけ、ない」
涙と一緒に、想いがあふれ出てきてしまった。
止めようがないくらいの勢いで、後から後から。
優しくて、優柔不断で、残酷な悟のことが、好きで好きで本当に好きで。
いっそのこと嫌いになりたかったのに、そんなのどうやったって無理な話で。
だから、ずっと苦しんできたんだ。
「よかった」
気づいたら、私は悟に抱きしめられていた。
ここは帰り道の途中で、同じ学校の生徒がこの道を通ることもあるのに。
状況がわからずに、私は言葉にならない奇声を発するしかなかった。
「まだ、ちゃんとよくわかってないところもあるけど。
たぶん、本当はずっと、僕は志津が好きで、志津が欲しくてしょうがなかったんだ」
優しい、優しい彼の声が、心にまで染み込んでくる。
それは今までとは違って優しいだけじゃなくて、甘さも含んでいた。
幼なじみに向ける愛情とは、別の愛を感じた。
それは恋情と呼ばれるものなのかもしれなかった。
「……本当?」
私の声は、泣きすぎたせいで鼻声になっていた。
抱きしめられたまま悟を見上げると、彼は笑って私の目尻にキスを落とした。
「うん、本当。
僕のものになってよ、志津」
悟の言葉に、私は頷くことで答えた。
正直言って、まだ信じられない気持ちでいっぱいだ。
悟は優しいから、私を放っておけなかっただけなんじゃないかって、疑う気持ちも少しある。
優柔不断なところだって、変わったわけじゃないはず。
それでも、心には逆らえなかった。
ずっと、ずっと好きだったのだ。
私のことを好きだという彼の言葉を信じたくなったって当然のはずだ。
また不安になることも、不満を持つこともあるだろうけど。
もし、想いが一方通行でないのなら。
二人で解決していけたらいい、と思った。