prologue. 旅のはじまりは三食めざましつきの約束と共に

 この世界には、二百年に一度、魔王が現れる。
 魔王は別の世界からやってきて、何もなかったはずの森の奥や砂漠の真ん中などに巨大な城を一瞬にして作り出し、そこを本拠地とする。
 魔王がやってくると、どこからともなく魔物も現れ、好き勝手に暴れ回る。
 そんな魔王を倒すために勇者が立ち上がるのは、もうテンプレだろう。

 勇者を選ぶのは、初代の勇者を輩出した国の王宮に厳重に保管されている聖剣だ。その聖剣は光の神が初代勇者に授けたのだと言われている。
 なんとその聖剣、普通にしゃべる。うるさいくらいにしゃべりまくる。幸いなことに、聞こえるのは王族の血を持つ者だけなのだが。
 魔王が現れたことも、勇者がどこにいるのかも、聞いていないのに吹聴する。
 だもんだから、選ばれた勇者は名前ばかり先行して広まり、気づいたときには逃げようがないのだった。



「じゃ、行ってくるよ、姉ちゃん」

 ここに、そんな軽い挨拶で今まさに旅立とうとしている勇者がいた。
 まずは聖剣を授けてもらうため王都まで行き、それから世界を回って魔物を倒しながら、魔王城を目指す。テンプレどおりの筋書きだ。
 此度、勇者に選ばれたのは、辺鄙なイーナカ町に住む十五歳の少年。
 五年前に流行病で両親を亡くしてから、二つ年上の姉と二人で助け合いながら生きてきた――正確には家事全般が壊滅的な姉のために日々主婦業に勤しんできた――健気な少年である。
 勇者であると国から使者がやってきても、苦しむ人々のためにと二つ返事で受け入れた――むしろ「マジで? 俺TUEEEEか!」と喜んでいた――正義感あふれる少年である。

「待って、ユース!」
「大丈夫だよ、姉ちゃん。そんなに心配しなくても、絶対帰ってくるから」

 涙ながらに引きとめる姉に、勇者は笑いかける。
 カラリとした明るい笑顔には、これから始まる壮絶な戦いへの覚悟……は別に見られず、後先考えない楽観的な思考がにじみ出ていた。
 そんな弟を姉が心配するのは当然のことだろう。

「マージユは連れて行かないで!」

 ……当然ではなかったようである。
 マージユとは、今も勇者の隣にいる、勇者と同年の魔術師である。
 生まれたときから勇者とその姉と共に育ってきた魔術師は、田舎出身とは思えないほど魔法の才にあふれているため、此度の魔王討伐についていくことにしたのだ。
 魔術師は勇者姉の言葉に困ったように微笑んでいる。

「姉ちゃん……少しくらい俺の心配してよ」

 勇者はしょんぼり、と肩を落とした。
 なんだかんだでこの姉弟は仲がいいのだ。唯一の肉親に心配してもらいたかったのだろう。

「あんたは殺しても死なないでしょ! でもマージユは違うの!」
「こいつは俺よりも死なねぇよ」

 勇者は魔術師を指さしてそう言ってのける。魔術師も微笑むだけで否定はしなかった。
 イーナカ町にも危険は潜んでいる。むしろ緑が多く、国から兵が派遣されない分、より凄惨だと言ってもいい。
 けれど、この町は信じられないほどに平和だった。
 それは魔術師が町全体に結界を張り、害ある物を寄せつけないようにしているため。
 町の外に出る町民がいた際には、勇者か魔術師が護衛となって町民を守っていたのだ。

 実のところ、勇者よりも魔術師のほうが強い。比べるまでもないほどに強い。
 それは剣と魔術という違いもあるだろうが、根本的に何かが違った。
 もちろん王都に行って聖剣を手にすれば、勇者はもっと強くなるはずだ。
 しかしその分、王都で新しいものを買えば魔術師の杖も聖剣ほどではなくとも強くなるわけで、勇者が魔術師に敵う日は来ないのではないかと思われる。

「知ってるわよ、二人ともすごく強いのは! でも私は数日ご飯を食べなかっただけで死ぬか弱い乙女なの!」

 勇者姉の叫びは切実な響きを持っていた。
 そう、この勇者姉、前述のとおり家事が壊滅的。料理がまったくできないのであった。
 今まで勇者姉宅で料理を作っていたのは主に魔術師で、たまに勇者。
 それゆえ、二人がいっぺんにいなくなってしまえば、勇者姉は餓死確実なのだった。

「飯くらい自分で作れよ!!」
「住む家をなくせって言うの!? ひどい子!」
「いい加減爆発させずに飯作れるようになれよ! 姉ちゃんのおかげで俺もマージユも家事レベルMAXだよ!!」

 両親を亡くしてすぐのころ、勇者姉がご飯を炊こうとしてキッチンを半壊させたことを勇者はいまだに覚えている。サラダを作ろうとして包丁が天井を突き破ったことも。
 勇者姉は魔法などは一切使えない。MP10程度のモブキャラだ。
 だというのに、どんなミラクルが起きればあんなことになるのか、勇者には不思議で仕方なかった。

 ちなみに家事レベルとは、料理・掃除・洗濯・裁縫の四種があり、経験値によってFからSSまでのランクがつけられる。
 もちろん勇者と魔術師はそのすべてがランクSSだ。
 ここだけの話、勇者姉の家事レベルは、裁縫だけがSSであとはFだった。
 普通なら実行回数分、経験値がたまるはずなのだが、なぜか勇者姉は何度挑戦してもFのままなのだった。

「あら、よかったじゃない。私の教育のたまものね」
「誰が教育したよ! 反面教師の間違いだろ!」

 あさってなことを言う姉に、勇者は突っ込まずにはいられなかった。
 勇者の最大の不幸は、ツッコミ属性という疲れるだけで割の合わない属性を持って生まれてしまったことにあるだろう。

「まあまあ、二人ともそれくらいにして」

 魔術師が始めて口を開いた。
 この二人のしょうもない姉弟喧嘩を止めるのは、いつも魔術師の役目だったからだ。

「マージユ! あなたは私を見捨てないわよね!」
「うん、もちろん見捨てたりしないよ」
「ちょっ、おい、マージユ!」

 袖にすがりつく勇者姉に、魔術師はにこやかに答える。
 あわてる勇者の声も二人には聞こえていないようだった。

「でもごめんね、アーネリア。ユースを一人では行かせられない。貴女の弟を無事に連れて帰るためにも、僕は行かないと」

 微笑みに決意をにじませて、魔術師は言う。
 幼いころから共に育ってきた二人のことを、魔術師はとても大事に思っていた。
 魔術師の家は十年以上も前に母親を亡くしており、寡黙で仕事一辺倒な父の代わりとばかりに、勇者と姉の両親が魔術師をかわいがり、三人は姉弟のようにして育った。
 勇者を亡くすことは自分が死ぬよりもつらいことなのだ。
 本当のところは、勇者が死ぬことで勇者姉を悲しませたくない、という思いのほうが強いようだったが。

 見捨てたりしないという答えに表情を明るくしていた勇者姉は、続いた言葉にがくりと膝をついた。
 そのまま両手で顔を覆い、おいおいと泣き出してしまった。

「マージユがいなかったら私はどうやって生きていけばいいの!」
「聞きようによっては愛の告白なのに、姉ちゃんが言うとそのままの意味にしか聞こえねぇ……」

 こんなときでもツッコミを忘れない勇者。
 彼はいついかなるときでも突っ込まずにはいられない業の元に生きているのである。

「大丈夫だよ、アーネリア。僕は世界のどこにいても一瞬でここに帰ってこれるから。毎日起こしてあげるし、三食食べさせてあげるし、掃除も洗濯もしてあげる」

 魔術師はにっこりと人のよさそうな笑顔で、当然のことのようにそう告げた。
 それがどれだけ実現困難なことであるのか、あいにくとこの場にいる三人はまだ知らなかった。
 幼少のころより自身がチート、あるいは身近にチートが存在している場合、世間一般的というものを知らずに育ってしまうのだ。

「それ、本当……?」
「本当だよ。僕が嘘を言ったことがある?」
「ないわ!」

 魔術師の秘技、人物限定無制限甘やかし攻撃により、勇者姉はすっかり復活した。
 一見微笑ましいが、魔術師の言っていることは無茶苦茶である。
 おそらく、力ある者の多いこの国でも、それが実行できる人間は片手にも満たないだろう。
 そもそも常識的に考えて色々おかしい、ということは二人にとってはどうでもいいことらしい。

「っておい! お前もっと真剣に魔王討伐しろよ!」

 もちろん、おかしいことをおかしいまま放っておけないツッコミ属性の男がここにはいた。
 勇者は魔術師の頭にチョップを入れるが、魔術師は痛がる様子も見せずに平然と勇者を振り返った。

「だって、魔王を倒して帰ってきたときにアーネリアが餓死していたら意味ないし」
「……そうだよな、お前はそういうヤツだよな」

 けろりと答える魔術師に、勇者は深いため息をついた。
 常識人なように見えて、魔術師は勇者姉至上主義なところがある。
 職人気質で他のことには無頓着すぎる姉と同じくらい、魔術師の思考も一点集中型なのだ。
 勇者はこの二人を相手にしていると、しばしば未知の生物と対面しているかのような疲労感を感じるのだった。
 結局、本当に常識人なのは俺だけだよな、なんて結論づける勇者も、自分が極度の楽観主義者で、さらに言うと若干厨二病をわずらっていることを見事に棚に上げている。

「じゃあ、僕たちはもう行くけど、食べたいものの材料だけは買っておいてね」
「わかったわ、今日の夕ご飯は豆腐ハンバーグおろしあんかけソースにしてね!」
「ツッコミが追いつかねぇ……!」

 ああ、光の神よ、俺の姉ちゃんはダメ人間です。
 どうか姉ちゃんに人間としての矜持を教えてやってください。
 そんなふうに、これまであまり信じていなかった神にすら祈りたくなった、勇者なのだった。

「いってきます、アーネリア」
「いってらっしゃい、マージユ。ついでにユース」
「ついでかよ! 勇者は俺なんだけど!?」
「まあまあ、行くよユース」

 魔王討伐への緊張感などまるで感じさせない魔術師は、納得が行かない様子の勇者を引っ張って町を出て行く。
 食事と起床とその他家事全般の心配がなくなった勇者姉は、両手を振って二人を送り出す。
 まるで、ちょっと近所に遊びに行ってくる、という程度の別れの場面だが、事実この数時間後には魔術師は家に戻ってくるのである。
 魔術師は嘘を言わない。約束を破らない。
 だから勇者姉は安心して、笑顔で二人を見送ることができたのだ。



 こうして、勇者と魔術師は故郷から旅立っていったのだった。



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