魔物を倒し、魔王を倒し、勇者の失恋(もどき)イベントなんかもこなし、無事に故郷まで帰り着いた勇者と魔術師だったが。
最愛の勇者姉に出迎えられ、上機嫌だったはずの魔術師が、勇者がほんの少し目を離した隙に、魔王以上に邪悪な空気を発生させていた。
ウルトラ○ンとまではいかないまでも、五分で狩ってきた鳥を魔術師がおいしく調理し、久々に三人で食卓を囲んだのはついさっきのこと。
それからすぐに勇者は旅の疲れ……よりも主に狩猟の疲れにより惰眠を貪っていたのだが、起きてみればこのとおり。
ちなみに勇者姉はすでに自室にこもって仕事に打ち込んでいるようだった。
「お、おい、マージユ。どうしたんだそんな、世界の終わりみたいな顔して」
勇者はこれでもほんの少し空気を読んで言葉を選んだ。あくまでほんの少し。それでも彼にしてはがんばったほうだ。
今の魔術師は、むしろ世界を終わらせる側に回りそうな顔をしている。
もう険しいとか厳しいとか怖いとか、そういうのをトリプルアクセルで飛び越えている。
こころなしか空気がよどんでいるし、魔術師の周りに黒いもやのようなものが可視化されている気がする。
このまま放っておいたらやばい。とにかくやばい。どうやばいのかはわからないが絶対にやばい。
それだけは、何事においても鈍感な勇者にもわかった。
「……アーネリアの究極的な鈍さについて考えてた」
どす黒い背景を背負った魔術師が、勇者に顔を向ける。
太陽が沈んですぐの空のような紫色の瞳が、今は、ほんのわずかな光すら差さない地獄の沼の色に見えた。
「ああ、ついに告白したのか。で、スルーされたのか」
いつ告るんだろう、なんて何年も前から思っていた勇者は、ついうっかり、魔術師の急所を打ち抜いてしまった。
ずもももももも、という黒いもやが急成長する音が聞こえてくるようだ。
図星を指された程度で大人げない、と言うことなかれ。なんだかんだで魔術師もまだ十六歳の未成熟な少年なのだ。
「全部わかったような顔をされるのって腹が立つね。ユースのくせに。単純バカで単細胞で考えなしなユースのくせに。あ、ごめんね全部同じ意味だったね」
「お前いつにもまして辛辣だな! 泣くぞ!?」
「勝手に泣いてれば」
「そうだよな、お前はそういうヤツだよな……」
悲しくなりながらも勇者は泣かない。だって、男の子だもん。
なんで俺の周りは自分勝手な奴ばっかなんだ、と勇者は黄昏れたくなった。
思うに、その周りの二人こそが、勇者が聖女にあこがれてしまった一因なのではないだろうか。
勇者に自覚はなくとも彼はとても面倒見がいい。困っている者、落ち込んでいる者、手を必要としている者を放っておけない。だからこそ彼は勇者姉と魔術師の餌食になっているわけだ。
他人の面倒を見ることが当然になってしまっている勇者には、自分のことを自分でこなし、その上公明正大で心優しい聖女は彼にとって青天の霹靂だったのだろう。
もしも彼女のことを深く知る機会があれば、聖女ではないただの少女としての面も見ることができたかもしれないが、その機会はすでに永遠に失われているので語るに値しない。
そう考えると、勇者の失恋もどきの遠因も勇者姉と魔術師だ。なんとも愉快な、いや失礼、なんとも不憫な巡り合わせである。
「つーか、予想できたことだろ、告白を全力でスルーなんて」
勇者姉相手なら、むしろそれが当然と覚悟してしかるべきだ。
スルーされたのち、いやいやそうじゃなくてね、これこれこういう意味でね、と勇者姉が理解するまで何度でも説明しなければ。
好きだ愛してると一度告げた程度で、勇者姉に想いが伝わるとは勇者ですら考えられない。
なぜ、勇者姉のことを勇者以上に熟知している魔術師が、今回に限ってしくじってしまったのか、勇者には謎だった。
「たしかに、これまでに何度も似たようなことがあったし、そうなる可能性を考えてなかったわけじゃないよ。でも、普通に考えてさ、魔王討伐から帰ってきてすぐ、好きだって告げて、友愛の意味に取る? ちゃんと、帰ったら聞いてほしいことがある、とも言っておいたのにだよ?」
「まあ、普通はねぇよな」
普通じゃないことを引き起こすのが勇者姉という人間だが、まあここは軽く流そう。
「ずっと離れてたわけだし、これ以上ない絶好のチャンスだって思ったんだ。さすがのアーネリアでも理解するはずだって」
「ずっとも何も一日三回会ってたけどな」
魔術師にとってのずっととは数時間単位なのだろうか。それとも彼にとっては日に三回の帰省程度は会ったうちにも入らないのだろうか。
勇者は親友との認識の剥離に気が遠くなった。
「なのに、どうして「私も好きよ」にっこり、で流せちゃうわけ? どう考えてもおかしいよね!? おかしいだろ!? おかしいと言え!!」
いや、命令されても……。
勇者は心の中でだけツッコミを入れた。今思ったままを口にするのは自殺行為だと本能的に察知していたからだ。
そんな大声を出せば勇者姉に聞こえてしまうのでは、という懸念は杞憂にすぎない。仕事に没頭している勇者姉がそれくらいで現実に戻ってきてくれれば、勇者も魔術師も苦労はしない。
魔術師とて今の自分がいつもの調子を崩しまくっていることは自覚していた。
しかしわかっていてもどうにもならないことというものもある。
たとえばやり場のない虚無感だとか。誰彼なく当たり散らしたくなるほどの切なさだとか。
あの告白に賭けていた、と言っても過言ではない。
999まで高まっていた期待が、すべて灰塵に帰したのだ。そりゃあ怒鳴りたくもなる。
「すげー、あのマージユが錯乱してる」
「ユース、聞く気がないなら空の彼方まで飛ばすけど」
「聞く、聞きます、聞かせてください」
本気の殺気を感じ、勇者は瞬時に三段活用で下手に出た。
魔術師と話していると簡単に死の危険にさらされるハメになるのが怖いところだ。
一応今まで死んだことがないのは、危機回避能力が高いからなのか、なんだかんだで魔術師が勇者に甘いからなのか、単に勇者の運がいいだけなのか。そもそも死んだらそこで試合終了ならぬ人生終了なのだが。
まあここはそのどれもが正解、ということにしておこう。
「アーネリアのあの鈍さは、なんなんだろうね……」
はぁぁ、と重いため息と共に吐き出された疑問に、勇者はふむ、と腕を組む。
それほど簡単な問題もないように勇者には思えた。
「俺、知ってるぞ。一言で答えられる」
「何?」
興味を引かれた魔術師は先を促す。
魔術師ほどの勇者姉廃に答えがわからないとは、本当に正常な思考能力を失っているらしい。
勇者は出し惜しむことなく、答えを口にした。
「『姉ちゃんだから』」
単純明快。これほどわかりやすく正しい答えもないだろう。
アーネリアは、アーネリア。
それ以上でもそれ以下でもなく、その言葉だけですべてが説明できてしまう。
彼女が鈍いのも、彼女が専門バカなのも、彼女がダメ人間なのも、そんな彼女なのに勇者も魔術師も放っておけないのも。
すべて、彼女が彼女だからだ。
「……ものすごく、納得できる回答をありがとう。できれば聞きたくなかった」
がっくり、と魔術師は浜に打ち上げられたクラゲのように脱力した。
「そんなとこもひっくるめて好きなら、あきらめるしかないんじゃね?」
「そう……だね……」
勇者の正論すぎる正論に、魔術師はうなだれるしかなかった。
どうしても、どうしても、好きなのだ。
魔術師の抱く恋情は、いや、恋情と一括りにできないほどの、大きく深く、重量級チャンピオンな愛は、理屈ではない。
一番最初の記憶から、魔術師は勇者姉に惹かれていた。
勇者姉のどんな言葉も、魔術師の心に響いた。勇者姉のどんな表情も、魔術師の心を揺さぶった。
好き、と気づいたときから、何がなんでも自分のものにしたくなった。
あきらめる、というのは悪いことではない。現状を認め、受け入れるということだ。
たとえそれが、勇者姉が破滅的に鈍感で、魔術師の渾身の告白が華麗にスルーされたという現状であっても。
何をあきらめたとしても、この恋はどうやったってあきらめられるものではないのだから。
ふう……と一つ息をつき、魔術師はなんとかいつもどおりの余裕を取り繕った。
「もう、正攻法じゃどうにもならないのはわかったよ」
「まあお前に正攻法は似合わないよな。根っからのチートキャラだし」
むしろ今までも正攻法だったようには思えないけどな、というツッコミを勇者は胸に秘めた。
せっかくなんとか復活したのだからこのままなあなあで済ませたい、というのが勇者の本音だった。
が、そんな勇者の淡い期待すらも打ち砕くのが、この魔術師という男だった。
「よし、決めた。ユース、今日から僕もここに住むから」
「はぁ!!?」
何を馬鹿げたことを、と魔術師を睨みつけるが、それ以上の眼力で返された。
その瞳はどう見ても、本気と書いてマジと読む、だった。
「ユースに拒否権はないよ。この家はアーネリアの家だからね」
「俺に拒否権はなくても、姉ちゃんにはあるだろ! なに勝手に決めてんだよ!」
「ここに住んだほうが毎食作るのが楽だ、とでも言えば、アーネリアは喜んで許可してくれるよ」
「……よくおわかりで。姉ちゃんの最優先はうまい飯だもんな……」
魔術師の思惑にも気づかずに毎日おいしいご飯が食べられる、と喜ぶ勇者姉が目に浮かぶ。
姉のバカさ加減と親友の手段を選ばない所業に頭の頭痛が痛くなってきそうだ。
「物理的な距離が近くなれば、心理的にも、っていうことがあるかもしれないし」
「これまでだって通い婚みたいなもんで、十二分に物理的な距離は近い気がするけどな」
魔王討伐の旅に出るずっと前から、ほぼ一日三食、三人で食べていた。というか仕事バカな勇者姉に二人がかりで食べさせていたとも言う。
正直、多少の抵抗感はあるものの、今までとどう違うのか、勇者にはわからなかった。
その程度の変化で関係がガラリと変わるのなら、もうすでに二人はとっくに子作りまで済んでいそうなものだ。
「バカだなユース、一つ屋根の下でしか起こりえないラブハプニングだってあるでしょ?」
「バカとか言うなよ! なんだよラブハプニングって!」
「恋愛ゲームのイベントみたいなものかな」
「わかんねぇよ!!」
「ググレカス」
「この世界にグー○ルはねぇよっ!!」
ぜえはあ、間髪入れずにツッコミを入れまくったものだから息切れする勇者をよそに、魔術師は涼しい顔だ。
開き直った魔術師は強い。付き合いの長い勇者は嫌と言うほど知っている。
つまり、一度こうと決めたことは、意地でも突き通す。
どれだけ勇者が文句を言ったところで、すべて無駄だということは、非常にうれしくないことに理解してしまっていた。
そんな勇者が一矢報いたくなったとしても、誰も文句は言えない。
「俺、一つ思ったんだけどさ」
「何を?」
これからどうやって勇者姉を口説こうか、と考えを巡らす魔術師に、勇者は声をかけた。
問い返した魔術師は一応勇者の話を聞くつもりはあるらしい。
それが優しさによるものなのか、どんな意見でもとりあえず参考にするから聞かせてみろということなのかは、わからないが。
「これから一生ご飯を作ってあげるから、結婚しよう。って言えば、解決するんじゃね?」
先ほどの魔術師の勇者姉説得の文言を聞いてふと思いついたことだが、かなり的を射ているだろうと勇者は絶対の自信を持っていた。
否定できる材料がないどころか、全力で肯定せざるをえない魔術師は、渋い表情を作るしかなかった。
実は魔術師もその作戦を考えたことは一度や二度ではなかった。
『いい提案ね、結婚しましょう!』とノリノリで答える勇者姉がありありと想像できる。
けれど、けれど……。
「……それは、最終手段にしておく」
それは、それだけは、男としてどうだろうと思ってしまうのは。
魔術師もまだ、すれていない、ということなのかもしれなかった。