「落ち込んだユースとかけて、しつこい新聞勧誘と解く」
王宮からほど近い、中流の宿。
その一室にて、勇者は魔術師になぞかけを受けた。
魔王討伐を終えて、凱旋した勇者一行のうち二人が、まさかこんなところにいるとは誰も思わないだろう。
事後処理のために少しの間王都にとどまることになった二人は、王宮に用意された部屋を蹴って城下に宿を求めた。
残念そうにしていた王や、聖女と騎士団長も、『今後一切国からの干渉を受けない』という条件を思えば、強く誘うことはできなかったのだ。
魔術師のなぞかけに、小さな書卓に突っ伏していた勇者はのろのろと顔を上げ、魔術師に目を向けた。
「……その心は?」
「心底うざい」
「ひでぇ!」
「だって本当のことだし」
けろり、と言い切った魔術師はむかつくほどにいつもどおりだ。
意気消沈していた長年の幼なじみにこの仕打ち。彼には血が通っているのだろうか、と勇者はたまに本気で思う。もちろん、彼の血がちゃんと赤いことは、この一年の旅で証明されているのだが。
「落ち込んでんのがわかってんならちっとは慰めようって気になんねぇのかよ!」
「僕が? なんで?」
心底わけがわからない、と言わんばかりに魔術師は首をかしげた。
ガックリ、と勇者は肩を落とす。彼の全身から力が抜けていく。
さらに気分が落ち込んでいきそうで、魔術師には何を言ってものれんに腕押しだろうと勇者は早々にあきらめた。
「……俺、よく十年以上もこんなヤツの親友やってこれたよな……」
勇者は過去のあれやこれやを思い出してしまった。
勇者姉と二人きりになりたいがために罠にハメられたことは数知れず。一緒に害獣狩りをしている最中に見捨てられたことは一度や二度ではない。魔術師の私物を壊してしまったその日一日、結界を張られて家に入れてもらえなかったこともあった。
――あれ、俺たち、親友、だよな……?
勇者の親友の定義が揺らいだ瞬間だった。
むしろ今まで疑問を持たなかったほうが不思議である。
「だいたいさ、そんなに落ち込むようなこと?」
書卓に手をついて、魔術師は勇者を覗き込む。
魔術師には勇者がなぜそこまで気落ちしているのか、本気でわからなかった。
「落ち込むことだろー。失恋したんだぞ」
そう、勇者の気落ちの理由は、聖女への淡い片思いが破れたことにある。
勇者が憎からず思っていた聖女に、騎士団長が求婚したのはつい先刻のこと。
よりにもよって王に直接許しを乞うた。よりにもよって勇者の目の前で。
前から騎士団長に好意を寄せていた聖女。その気持ちを知っていてあわよくばと思っていた王。そうとは知らずに真っ向勝負をかけた騎士団長。
あれよあれよという間にめでたく婚約が成立し、哀れ勇者は失恋、といった具合である。
完全に勇者は蚊帳の外だった。おい、俺が主役じゃないのかよ、と勇者は心中で涙を流した。
聞くも涙、語るも涙。しかしすべてを知る観衆は魔術師しかおらず、かわいげのない魔術師が泣くわけもなかった。
「セーシエと付き合いたいとか結婚したいとか思っていたわけじゃないくせに」
「そりゃあ……高嶺の花だし」
聖女はきれいで、かわいらしく、何とは言わないがメロン級で、メロンで、とてもやわらかそうで、いい香りがした。
……いや、もちろん外見にばかり目が行っていたわけではない。自らの役目に対する真摯な姿勢や、メロン……は置いておいて、女性らしい優しさや、時折見せる毅然とした態度にも惹かれていた、はずだ。
けれど彼女は王女なのだと、勇者はきちんと理解していた。そしてわきまえていた。
まさか、騎士団長と想い合っていたなどとは知らなかったが、もし知っていたとしても奪うような気概を勇者は持ち合わせていない。
遠くで幸せになってくれれば、それでいい。まさか目の前で幸せになる瞬間を見せつけられるとは思いもしなかったが。
「本当にそれだけの理由?」
「何が言いたいんだよ」
ぶすっとした顔で勇者は魔術師を見上げる。
あいにくとそんな顔をしていてもまったくもってかわいくはない。
顔の造形は姉弟で多少似ている部分はあれど、顔で勇者姉を好きになったわけではない魔術師にとっては意味もないことだった。
魔術師にとっては勇者姉とそれ以外で明確な区分がされている。差別化と言ってもいい。
つまり、勇者がどれだけ落ち込もうと不機嫌になろうと、泣こうが喚こうが魔術師には痛くもかゆくもないということだ。
「先に国からの干渉は受けないって言ったのは僕たちのほうだよ。そうなれば当然、王女でもあるセーシエとの関係も切れることになる。提案したのは僕だけど、ユースも賛同してくれたよね」
その提案の理由と結果を、魔術師はきちんと事前に勇者に説明してあった。
単純で馬鹿で考えなしな勇者にもわかるようにと、懇切丁寧にかみ砕くどころか臼で挽くようにして説明したのだから、きちんと理解はできているはずだ。
「だって、姉ちゃんがいるし。それに、王宮になんか残ったら、面倒なことになんのわかってたし」
故郷に姉だけを残して、自分たちはこちらで、なんて考えられなかった。
姉を溺愛する魔術師がそれを許すわけがないというのももちろんだが、勇者もたった一人の家族である姉と離れるつもりはこれっぽっちもなかった。
振ればカランカランと音がしそうな頭の軽い勇者でも、国の中心にいれば自分が異分子になることくらいは、魔術師に説明される前からわかっていた。
只人に扱えない力を持った異端者は、片田舎で害獣を狩りつつ、わがままな姉のリクエストに応えて豪勢な食事を作っているくらいがちょうどいい。
「ユースが本気でセーシエのことが好きだって言うなら、実の姉との別れも、その面倒も全部受け入れて、勇者という立場を最大限に利用して王族に取り入るべきだった。もちろんそれでセーシエが振り向いてくれたとは限らないけどね」
魔術師はグサリと容赦なく勇者の急所を突いてきた。さすが勇者姉以外にはドSな男である。
勇者姉に向ける愛情の百分の一でもいいから勇者にも優しくしてあげてもいいのではと思うが、魔術師とて勇者が嫌いだから意地悪を言っているわけではないのだろう……たぶん。
「言っちゃ悪いけど、僕には、ユースがセーシエに恋をしていたようには見えなかったよ」
「なっ! そんなんお前にわかるかよ!!」
ガタッ、と椅子が大きな音を立てて倒れる。勇者が勢いよく立ち上がったからだ。
勇者は怒りでか顔を真っ赤にして、魔術師を睨みつける。握り拳にした両手は小刻みに震えていた。
そんな怒り心頭な様子の勇者に対し、魔術師は涼しげな表情を崩さない。
二人の温度差はリューキューの夏とデッカイドーの冬並みだ。
「わかるよ。ユースはあこがれていただけだ。町の女性と違ってあか抜けていて、姉と違って女らしくて、泣くことも取り乱すこともなく使命をまっとうしようとする強い彼女に」
『胸が大きくて』と言わずにおいてあげたのは、魔術師のせめてもの良心である。そんなことにはもちろん勇者は気づかない。知らぬが仏である。
勇者は魔術師の言葉に勢いをなくし、いからせていた肩から力を抜いた。
「……あこがれ、かぁ。そうなのかな、やっぱ」
少しの沈黙ののち、勇者の口からこぼれ落ちたのは、空気の抜けた風船のような声。
自分でも薄々そんな感じはしていたのだろう。
「恋ってさ、難しいもんだな。あー、好きだーって思っても、恋とは限らないなんてさ」
勇者は再び椅子に座り直し、頬杖をついて独り言のように語る。
恋バナが主食の女子高生じゃあるまいし、男同士でこんな話をしているのはいささか恥ずかしいものだが、十六歳という年を思えば、まあ許される範囲内だろう。
救国の勇者として庶民の人気を集めている男が、まだ恋がどんなものかも知らない新鮮なチェリーだとは誰も思うまい。
「あこがれが恋に変わることだってあるんじゃないかな。ユースは、セーシエに恋をしかけていたんだ。それは間違っていないと思う」
恋とあこがれの境界線。それはいったいどこにあるのか。
魔術師も明確な答えを知っているわけではないだろう。
ただ、魔術師は生まれた時から勇者と共にいた。共に育ってきた。
聖女を映す勇者の瞳に、恋や愛のような熱がなかったことだけは、魔術師も見て取れた。
もっと時を重ねれば、恋になったかもしれない。
それはもう、今となっては誰にもわからないことだ。
育むつもりが勇者になく、育む環境が永遠に失われた今では。
まだ恋になる前のその想いは、あこがれ、という名前にとどめておいたほうが、勇者の傷も浅くすむだろう、と魔術師は思った。
「ユースに本当に好きな人ができたら、そのときは応援してあげるよ」
にっこり、と魔術師は笑い、勇者の頭をポンと軽く叩いた。
めずらしいこともあるもんだ、と勇者はぱちくりと目をまたたかせた。
勇者姉に向ける愛情の百分の一の優しさ。
いや、魔術師の勇者姉への愛情は無限と言っても過言ではないだろうから、計測不可能な、けれど決して少なくはない優しさとでも言うべきか。
なんだかんだで、魔術師は勇者のことも愛しい人の弟として、幼なじみとして、友人として、大切に思っているのだった。
そしてそれは、わかりやすく言葉にされなくとも、勇者も本能で感じ取っていて。
だからこそ二人は、親友と呼べる関係を築いているのだろう。
「お前の応援とか、怖ぇな」
「百人力だと思わない?」
「ははっ、そうだな」
朗らかな笑い声をあげて、勇者は肯定する。
魔王と互角に渡り合えた魔術師が仲間なら、本当になんでもできてしまいそうだ。
どんなに難攻不落な女性相手でも、なんとかなってしまうかもしれない。
まあ、まずは相手を見つけるところからだけどな、と勇者はふりだしに戻った。
恋って、どんなものかなぁ。
勇者がその答えを知るまで、実に五年とさらにそれ以上の月日を要する。