騎士団長は恋愛フラグに動揺している

 聖女がどうやって魔の手から逃れたのかというと、簡単なことである。
 聖女は魔法を使える。回復魔法や補助魔法に特化してはいるものの、攻撃魔法もかなりのレベルなのだ。
 チートである魔術師の陰に隠れてしまっているが、実のところものすごく強い。
 か弱い聖女の仮面をかぶり、情報を聞き出すだけ聞き出したあと、聖女は遠慮も情け容赦もなく、その魔法の腕を披露した。
 異変を察知した勇者と魔術師が駆けつけたときには、すでに実行犯全員を伸したあとだった。
 無事でよかったと言った騎士団長に、「あんなモブに、あんな三下に、私が負けると思われているだなんて心外だわ」と聖女は不満そうな顔をした。
 守るべき存在、と騎士団長が今までずっと思っていた聖女は、本人の言うとおり、守る必要がないくらいにしっかりしていたのだった。

 騎士団長は、聖女への態度を決めかねていた。
 自覚したのだ。自覚してしまったのだ。うっかり恋に落ちちゃったのだ。
 一生の不覚である。まさかまさかである。
 大切な大切な、小さな姫君。
 騎士団長にとって守る対象であって、恋に落ちていい相手ではなかったはずなのだ。
 けれど気づいてしまったものはもうどうしようもない。
 まさかどこかの大岩に頭をぶつけて記憶喪失になるわけにもいかない。魔王討伐の旅の途中で自ら傷を増やすなど、基本的に生真面目な騎士団長には考えられない。

 聖女は騎士団長のことが好きだ。
 それは三年前にも、旅に出る前にも言われた。
 旅の途中でも何度も彼女の気持ちを感じることがあった。ただの自意識過剰でなければ。
 頭でっかちで面倒な人間だということは自覚しているので、何がいいのかは自分にはまったく理解できないが。
 好かれていることは、確かなようなのだ。
 その、自分を好いてくれている聖女を、好きになった。
 普通に考えれば何も問題はない。即ゴールインである。リンゴーンと鐘の音が聞こえてくるのである。お子さまは何人のご予定ですか? である。
 けれどそうはいかないのが、頭でっかちで、ヘタレの、この騎士団長なのであった。



 ある夜、野宿の最中。
 疲れきってすぐに寝てしまった聖女と勇者を横目に、騎士団長と魔術師は偶然二人っきりになった。
 まあ魔術師もすぐに寝るだろう、と自身も横になろうとしていた騎士団長を、「ねえ」と呼び止める声がした。もちろん幽霊などではなく、魔術師である。

「とうとう陥落したの?」
「……は?」

 なんのことを言っているのかわからず、騎士団長は目をまたたかせる。
 魔術師は、少し言葉が足りないところがあると思う。
 端的というか、説明をはしょりすぎというか。
 必要以上には人と関わりあいになりたくないという空気をひしひしと感じる。
 それでも、パーティーメンバーとはそれなりに交流を持とうとしてくれるので、気にするほどのものでもなかったが。
 今も、面倒くさそうな顔をしつつも、追加の情報を口にしてくれた。
 が、それは騎士団長にとっては爆弾以外の何物でもなかった。

「セーシエに」
「え、いや、その、それはどどどどういう……」

 騎士団長は動揺しすぎて、盛大にどもった。これではバレバレというものだ。
 隠すつもりはあるのだろうか、と魔術師は内心呆れた。

「どういう意味も何も、そのままの意味だけど。セーシエはキーシのことが好きで、キーシもやっとセーシエのことが好きだって気づいたんでしょ?」

 何を今さら、と言わんばかりの表情で、魔術師は騎士団長に問いかける。
 問いかけというよりはただの確認でしかない。
 そこまで知られていたのか、と騎士団長は羞恥心に悶え転がりそうになった。

「……マージユには、隠し事はできないのだな……」
「見てればわかるよ。ユースは鈍いから、なんにも知らないけど」

 その言葉に騎士団長は少しだけほっとした。
 勇者にまで知られていたら、もういつもと同じ顔をして旅を続けることはできないだろうと思えた。
 魔術師にバレている時点で、微妙に手遅れなのだけれど。

「ま、別に僕には関係ないから、どうでもいいけどね」

 本当に関係ないと思っているかのように、魔術師の声には温度というものがなかった。
 魔術師にとって、騎士団長も聖女も、この旅の間だけの仲でしかないのだろう。
 魔王討伐が無事に終わったら。騎士団長はまだその先を思い描くことはできなかったが、魔術師のその先にきっと自分たちは存在していない。
 彼にとっては、己の生まれ育ったイーナカ町と、町の仲間がそれだけ大事なのだ、と騎士団長は解釈した。

「ただ、ユースが後々に引きずらないように、早く夢から覚まさせてあげてほしいとは思ってる」
「夢……とは?」

 騎士団長には魔術師の言葉の意味が理解できなかった。
 何しろ勇者の気持ちにすら気づいていないのだ。わかるはずがない。

「さっさとくっつけば、ってこと」

 魔術師からは至極わかりやすい言葉が返ってきた。
 色々とはしょられた感はあるが、騎士団長にとってははしょられた部分よりも伝えられた部分のほうが大事だった。というか、一大事だった。
 さっさとくっつく。くっつくとはつまり、聖女と男女の仲になってしまえ、ということだろう。
 男女の仲。惚れたはれた。うふふつかまえてごらんなさ〜い、お〜い待てよこいつぅ〜。
 どう言葉を変えたとしても、内実は変わらない。
 聖女と海辺で追いかけっこなど、自分にできるのだろうか?
 騎士団長は沸いた頭で見当はずれなことを考え始める。
 追いかけっこはたとえでしかなく、つまりは恋人同士という関係になれるのか、ということなのだけれど。

「俺は……セーシエ様を守る騎士だ」

 それだけが、動かざる事実。
 初めて彼女と相まみえたその時から、騎士団長は己の剣と光の神に誓った。
 騎士団長にとって聖女は守るべき主だった。
 恋を自覚した今でも、それは変わりようがなく。
 彼女を見る目を、今まで積み重ねてきた関係を、ここに来て急に変えることなんて、不器用な騎士団長にはできるわけがないのだった。

「でも、キーシはセーシエを娶るのに充分な身分を持ってる。セーシエに好かれてて、自分もセーシエが好き。他に何が足りないの?」
「それは……」

 反論は思い浮かばず、開いた口からは吐息がもれる。
 魔術師の言うとおりであった。

「キーシはヘタレだね」

 ふっ、と魔術師は苦笑をこぼした。
 それはたしかに、悩める仲間へと、騎士団長一個人へと向けられた表情のように感じた。

「好きなだけ悩めばいいよ。悩んだところで想いは消えるものじゃないんだから。答えなんてあとからついてくる」

 まるで経験論のように、魔術師は語る。
 魔術師はなんでも即断即決してきたように見えるのだが、実はそうでもなかったのだろうか。
 優先順位がはっきりしている魔術師でも、過去に悩むことがあったのだろうか。

「マージユは……その、ユースの姉上のことが好きなのだったな」

 魔王討伐の旅に出ながらも、魔術師は一日三食、勇者姉の元へとご飯を作りに行っている。ついでに掃除や洗濯もし、目覚まし代わりにもなっているらしい。
 魔物との戦闘よりも勇者姉のご飯を優先する魔術師は、鈍感野郎である騎士団長ですら察するほどに、勇者姉に心を傾けている。
 聖女が騎士団長を想ってくれているように。騎士団長が聖女を想ってしまったように。
 魔術師も、勇者姉のことを想っているのなら。
 彼の答えを聞けば、少しは何かがわかるかもしれない。
 答えの出ない迷宮に、光が射し込むかもしれない。
 騎士団長はそんな淡い期待を抱いた。

 騎士団長の言葉に、魔術師の雰囲気が一変した。
 ふわり、とやわらかな空気が魔術師を包む。
 爽やかな風が魔術師の黒髪をさらい、黒いローブを揺らす。
 それはまるで、魔術師の周囲にだけ突如として春が訪れたかのように。

「アーネリアは僕のすべてだよ」

 うっとり、とでも言えばいいのだろうか。魔術師は恍惚とした表情を浮かべていた。
 始めて見るその表情に、彼がどれだけ本気なのかを教えられた。
 きっと、勇者姉以外には考えられないのだろう。
 彼の中ではきっと、勇者姉と、それ以外で明確な区別がなされている。
 勇者姉は特別で、唯一で、それこそ魔術師にとって世界のすべてなのだろう。

 そう、言い切れてしまう強さを。
 自分も持てたならよかったのだろうか、と。
 騎士団長は、ないものねだりとわかっていながらも、思ってしまった。



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