騎士団長は恋愛フラグを回避したい

 さて、ここで、騎士団長にとって聖女がどういった存在であるのかを確認してみよう。
 騎士団長は聖女を全身全霊でもって守ろうと心に決めていた。
 聖女に心酔している、と言っても過言ではなかった。
 騎士団長にとって、王族は特別。聖女は、さらにさらに特別だった。
 それは、彼女が聖女だからではない。セーシエが、セーシエだからこそ、だった。



 騎士団長がセーシエ王女殿下付きの騎士になったのは、聖女――が三歳、騎士団長が十五歳の時のこと。当時はまだ二人は聖女でも騎士団長でもなかったが、便宜上そう呼ぶことにする。
 まだ騎士になったばかりだった騎士団長は、使命感に燃えていた。
 厳格な父に鍛え上げられ、父と共にこの国の平和を守ることを夢見ていた青少年。
 王族は国の要だ。王族を守るということはすなわち、国を守るということ。
 騎士団長は聖女を守ることに死力を尽くすことを、仕えるその日からすでに決めていたのだ。

 さいわいなことに、聖女は騎士団長によく懐いてくれた。
 子どもはゴツい男性を怖がるものだと思っていたけれど、そんなことはなく、むしろきれいな髪だと褒められたことすらある。
 聖女に褒められただけで、親から受け継いだ金の髪が、宝物のように思えた。
 さわってもいい? とひかえめに聞いてくる聖女は大変かわいらしく、その日は髪の毛を洗うことをためらってしまった。

 騎士団長は、最初から王族フリークだった。
 それはもちろん、両親の影響が強い。
 父が王と懇意にしていたために、騎士団長自身も何度か王にお声掛けいただいたことがあったという理由もある。
 子どものころから育まれた純粋培養の王族至上主義精神は、聖女付きの騎士になってからさらに加速したと言ってもいいだろう。
 聖女に傷一つないように。どんな危険からも遠ざける。
 騎士団長のあまりの過保護っぷりに、みなが呆れた。やりすぎだと。当時の騎士団長にも肩の力を抜けと何度か言われた。
 けれど、騎士団長には力の抜き方がわからなかった。生真面目というか、根っからの単純バカゆえに。
 聖女直々にお叱りを賜ったこともあるほどに、騎士団長は職務にやる気満々すぎて、空回っていた。

 今思えば、聖女が自分に懐いてくれたのが奇跡だと、騎士団長は思う。
 性格はほとんど変わっていないが、この十五年で加減というものは覚えた、はずだ。余所から見ればまだまだだが。
 あのころの騎士団長を厭うことなく傍近くに置いてくれたことは、聖女の心が広かったということと、聖女が自身の発言力をよく理解していたということなのだろう。
 聖女がわがままを通そうとすれば、だいたいのことが通ってしまう。王女だから、という理由で。
 王女としての権限を、むやみやたらに振りかざさなかった聖女は、幼児のころから己の立場をきちんと把握していたということだ。

 騎士団長が聖女に心酔している理由は、自分に懐いてくれたから、ではなかった。
 聖女は、いつどんなときも公正公平だったのだ。
 いつも優しい侍女と、いつも厳しく当たる侍女が口論になっていた時も、優しい侍女をひいきすることなく、双方の話を聞いていた。
 ささいな失敗に目くじらを立てることはなく、けれど見過ごせない問題が起きればきちんと相応の罰を与えた。
 神童、と呼ばれるのも当然のように思えた。
 他のどの殿下よりも、最年少の聖女が一番王族としての責任をまっとうしているように見えた。

「命に代わりはないのよ。命に変えて、なんて言っちゃダメ」

 そんなことを言われたのは、聖女が四歳の時のこと。
 命に変えてもお守りします、と騎士団長はことあるごとに言っていた。本心からの言葉だった。
 大貴族の出である騎士団長は、命には貴賤があり、順番があることを知っていた。それが当然だと思っていた。
 たしかに騎士団長の命は一つしかない。けれど、一人しかいないセーシエ王女殿下とは違って、彼女を守る人間には代わりがいるのだ。
 だから、聖女がなぜそんなことを言うのか、騎士団長にはわからなかった。

「ですが、セーシエ様は俺の命よりも大事なお方です」

 騎士団長の言葉に、聖女はむうっと頬をふくらませた。
 子どもっぽい表情だけれど、その瞳に宿る怒りの炎は大人顔負けの迫力があった。

「命には順番もないの。みんな同じくらい大事なんだって、光の神さまだって言っているでしょう?」

 騎士団長も貴族だ。光の神への信仰心はしっかりと根づいている。
 けれど、貴族というのはきれいごとだけでは渡っていけないのも事実だった。
 命に代わりはなく、順番もない。みなの命が同じくらい大事、などと。
 そんなことを本気で言うことのできる貴族がどれだけいるだろうか。
 その時、騎士団長はたしかに、彼女に後光が差しているのを見た。
 公明正大な、穢れを知らない王女様。
 聖女が聖女となった時、騎士団長は驚くことなく納得したのだ。
 彼女ならば選ばれて当然だ、と。光の神はきちんと見ておられるのだと。

 騎士団長は、自身の三分の一ほどの年の幼女に、命を捧げていた。
 そう言えば聖女に怒られてしまうから、捧げると言っても気持ち的なものでしかなかったが。
 だからこそ、セーシエが六歳の時、聖女となった際に、王に願い出たのだ。神殿との連絡役にしてもらえるようにと。
 ただの王女ではなくなり、自分との関わりが切れるとなった時、このままではいけないと漠然とそう思った。
 己が守ると決めた存在から離れることを、受け入れられなかった。
 聖女はたとえ寂しくとも自分から騎士団長を望むことはないだろう。公明正大な彼女がそんなひいきをするはずがない。
 わかっていたからこそ、騎士団長のほうから、彼女とのつながりを望んだ。
 騎士団長に聖女を嫁にやろうとたくらんでいた王は、内心でほくそ笑んでいたのだが、それは騎士団長の知らぬところである。

 連絡役を買って出たとはいえ、以前よりもぐっと聖女と顔を合わせる機会は減った。
 本当は、神殿騎士になってでも聖女のすぐ傍にいたかった。
 けれど騎士団長は王宮騎士。しかもいずれは王宮騎士団長の名を背負うことになるだろうと言われる立場だった。
 自分一人の意志を通せるほど、大貴族の重圧は軽くはなかった。
 今ごろ聖女は何をしているだろうか、という考えがふと頭をよぎることは、日常となっていた。

 近いうちに現れる魔王。そして魔王討伐の旅。
 不安を抱えた聖女を守れるよう、さらに力を求めた。
 聖女を守ることができるのは自分だけ。いや、たとえ他にいようとも、この名誉を誰にも譲りたくはない。
 聖女と出会ってから、騎士団長の原動力はいつもたった一人だった。
 そのことに疑いを挟む余地もないほどに、騎士団長にとってはそれが普通で、自然だった。
 けれどそれは、元王女付きの騎士として至極当たり前のことだろうと、騎士団長は思っていた。
 己の役職を越えるほどの想いは、わずかにも抱いていないと。
 だというのに、最近はそれすら自信がなくなってきているのだ。
 いや、もしかしたら、聖女に想いを告げられた、三年前のあの時から――。


  * * * *


「なんだよ、キーシ。んな重苦しいため息ついて」
「悩み事? あんまりため込むとハゲるよ?」

 今日も今日とて旅路を行く勇者一行。気づけば騎士団長の両隣に勇者と魔術師がいた。
 ため息が無駄に重いのは重々承知しているが、ハゲは血筋的に大丈夫なはずである。騎士団長の父も祖父も兄もふっさふさだ。……大丈夫なはずである、うん。

「キーシ、疲れているなら休憩にしますか?」

 しまいには聖女にまでそう言われてしまう始末。
 しっかりしなければいけない。このパーティーでは自分が一番の年長者なのだから。
 言うなれば、騎士団長はパーティーリーダー的存在だ。
 成人したばかりの三人をまとめるべき立場である騎士団長が、彼らを不安にさせるようなことはあってはいけない。

「……いえ、ご心配をおかけして……心配かけて、すまなかった。俺は大丈夫、だ」
「そう、ならいいのだけれど」

 言葉遣いに気をつけながら答えれば、聖女は渋々ながら引き下がった。
 納得はしていないのだろうが、強く言うほどのことでもないと思ってのことだろう。
 本当に騎士団長の様子がおかしいようならば、きっと聖女は無理矢理にでも休ませる。それこそ、命令をしてでも。
 それをわかっているから、騎士団長も変に心配はかけたくないと思ってしまうのだった。

「セーシエは優しいなぁ」
「そうですか?」
「ああ、さすが女の子だよな」

 へらりん、と勇者はしまりのない顔で聖女を褒める。
 聖女に惚れてるんだかあこがれてるんだかいまいちわからない勇者は、ことあるごとに聖女を褒め称える。
 さすがに声に出すことは少ない(ないとは言わない)ものの、枕詞には必ず『俺の姉ちゃんと違って』とついているのは、魔術師にはお見通しだった。
 とはいえ恋愛方面にはてんで疎い騎士団長は、勇者が聖女に矢印を飛ばしていることにすら気づいていないのだが。

「でも、そうですね。キーシはがんばり屋さんですから、特に優しくしたくなってしまうんです」

 聖女は、勇者のやに下がった顔とは違う、やわらかな微笑みを浮かべる。
 美しい新緑の瞳が騎士団長に向けられ、神秘的な銀の髪が風になびいて光を弾く。
 騎士団長のどこぞの臓物が、ぎゅっと渾身の力で握りつぶされたような感覚を覚えた。
 あの、誰に対しても平等な、非の打ち所のない聖女である彼女が。
 特に優しくしたくなる、だなんて。
 そんなことを言いながらも、不当なえこひいきはしないと騎士団長はきちんとわかっている。
 けれど、聖女の中で自分は間違いなく特別な位置にいるのだ、と。
 今さらだけれど、改めて、思い知らされた。

「……気遣いは無用だ」

 春の花畑で舞い踊る妖精のような、可憐で麗しい聖女の微笑み。
 それが、自分のために浮かべられた表情なのだと思うと、騎士団長は真っ正面から受け取ることができなかった。
 視線をそらして、低い声で無難な言葉を投げることしかできない。
 これ以上、優しくしないでほしい。これ以上、自分の心を揺らさないでほしい。 
 本来、騎士団長のほうが聖女を気遣わなければならないのだから。

 魔王討伐の旅に出てから……もしかしたら、そのもっと前から。
 騎士団長は聖女に調子を崩されっぱなしだった。
 聖女を、ついでにパーティーメンバーを守ることだけに集中したいのに、そうはさせてもらえない。
 聖女はいつも騎士団長へとまっすぐに気持ちをぶつけてくる。たまに、怖くなるほどに。
 やめてほしい、と騎士団長は叫びたかった。
 自分はそんなきれいで尊い想いを差し出されても、受け取れないのに。
 騎士団長にとって、聖女は守るべき存在で。
 それ以上でも、それ以下でもなくて。
 ずっと、それでいいと思ってきていたのに。

 大切な大切な、世界で一番大切な小さな姫には、世界で一番のしあわせをつかんでほしい。
 誰もが祝福するような恋をして、誰もがうらやむような結婚をして。
 しあわせだ、とどんな星よりも輝かしい笑顔で言ってほしい。
 自分は、それを見ていられるだけで幸福だ。



 つまるところ、騎士団長には聖女をしあわせにできる自信がまったくないのであった。
 腹をくくってしまえばいいだけだというのに、これだからヘタレ男子は。
 恋愛フラグはいらない、と半ば本気で思っている騎士団長の意志を、聖女は変えることができるのか。
 それは、次回、乞うご期待なのである。



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