第七話 それからの先輩と私の関係

 噂は基本的にあてにならないものだ。
 放っておけば、そのうち自然と収まる。七十五日と言うくらいだから。
 とはいえ、積極的に噂の火種を投入する人がいれば、別の話。

「篠塚、一緒に帰ろ」

 そう、笑顔で私の教室までやってきたのは、先日情熱的な告白をしてきた佐伯先輩。
 先輩はあれから、噂を裏づけるような行動ばかり起こしている。
 人気者の彼に人の目が集まるのは当然。
 そんな人に告白されてしまったがために、私まで観衆の前へと引きずり出されてしまった。
 ふさわしくないとか一年生のくせにとか、いじめの標的になるんじゃ、という予想は、いい意味で裏切られた。
 佐伯先輩は二年前とは違い、ある程度周囲の反応をコントロールできるようになっていた。
 ごく少数の三年生にチクリと嫌味を言われるくらいで、ほとんどの人が傍観に回っている。いや、むしろ観戦と言ったほうが正しいかもしれない。
 クラスのみんなも佐伯先輩を応援モードだから、やりにくくて仕方がない。

 今日も、教室に入ってきた佐伯先輩に、クラスメイトたちはにやにやしながら私と先輩を見てきた。
 その中には私の隣にいる小学生時代からの友人、中嶋沙耶佳も含まれている。
 裏切り者め、と責めるような視線を向けてみても、彼女は気にした様子もなく佐伯先輩へと手を振った。

「佐伯先輩、お迎えごくろうさまです。
 みっちー、また明日ね〜」
「沙耶佳……」
「ありがと、中嶋さん」

 言いたいことだけ言って、沙耶佳はさっさと教室から出て行ってしまった。
 きっと大学生の恋人が迎えに来ているんだろう。
 マイペースな彼女は、高校生になったとたん、半月もしないうちに恋人を作っていた。
 相手は幼なじみだという話を聞いたけれど、子どものころから沙耶佳を知っていてなお付き合うなんて、酔狂だと思う。

 佐伯先輩は当然のように私のカバンを持ち、退路を断たれた私はあきらめて先輩のあとをついていく。
 学年が違うために昇降口も違うので、一度別れ、一年の昇降口の前で再度落ち合う。
 今日あったことを先輩がおもしろおかしく話すのを聞き、適当に相づちを打ちながら駅への道のりを歩く。
 大変不本意なことに、この一連の流れに慣れてきてしまっている自分がいる。

「なんだか不満そうだね」

 私の心情を正確に読み取ったらしく、佐伯先輩はそう指摘してきた。
 隣を歩く先輩を見上げると、彼は苦笑いをこぼしていた。

「不満も不満です。
 私は一緒に帰ることを承諾したことなんてないのに、いつのまにか沙耶佳まで佐伯先輩の味方なんですから」

 一緒に帰ろう、と言う佐伯先輩に、私がうなずいたことなど一度もない。
 なのに、周りにお膳立てをされてしまい、強引な佐伯先輩に流されるようにして、一緒に帰るのが当たり前になってしまった。
 はっきりと拒めない自分も悪いというのは自覚している。
 けれど、先輩のことを嫌いなわけではないから、どうしても判断力が鈍くなってしまうのは仕方のないことだ。

「帰る方向が同じなんだから、一緒に帰るくらい普通じゃない? 家まで送ってるわけじゃないし。
 友だちとだって寄り道しながら帰ったりするでしょ」

 彼の言っていることは、一見正しい。
 同じ中学校に通っていたのだからそう不思議なことではないが、佐伯先輩とは最寄り駅が一緒だ。
 私は駅から歩いて十分少々のところに、佐伯先輩は自転車を二十分近く走らせたところに住んでいる。
 帰り道が重なっている五分ほどは、先輩は自転車を押して一緒に帰る。
 そして、分かれ道でさようなら。これまで一度も家まで送ってもらったことはない。
 佐伯先輩なりに、譲歩してくれているんだろう。
 そうわかっていても、なんだか納得いかないのだ。

「佐伯先輩は友だちなんですか?」
「今は友だちなんじゃないかな。
 いずれは篠塚とお付き合いしたいと思ってる、ね」

 にっこり、ときれいな笑みを浮かべて佐伯先輩は言う。
 色気のある声に思わずドキッとしてしまう。
 甘い言葉は標準装備。こういう天然タラシっぷりも相変わらずだ。
 中学生のときとは違って、そこに特別な想いが込められていると知ってしまっているから、余計に対応に困る。

「……興味ないって、言ってるのに」

 私は先輩に聞かせるでもなく小さくつぶやく。
 そのつぶやきは拾われてしまったらしく、佐伯先輩は困ったような、それでいてどこか呆れを含んだ表情になった。

「篠塚は頭はいいけど、少しバカだよね」
「喧嘩を売っているんですか?」

 あんまりな言いように、私は佐伯先輩をキッと睨みつける。

「そうじゃなくてさ。
 興味ないとかそんな半端な断り文句じゃなくて、俺自身に理由をつけて断ればいいのに。
 そうすれば俺だって、あきらめるしかなくなるのに」
「文句のつけどころのない人気者が、何言ってるんですか」
「人間一つ二つくらいは欠点があるものだよ。
 もちろん、俺にだってたくさんある」

 手で自分を示しながら、佐伯先輩はそう言った。
 佐伯先輩の欠点。それはたしかに、ないわけではないのはわかっている。
 現に、感情的に愚痴をこぼす先輩を、私は中学生のときに見て知っているのだから。
 とはいえ、あのときの欠点はすでに克服されているような気もしないでもない。
 今の佐伯先輩はいつでも余裕だ。私を口説くときだって。
 彼が怒ったところも、落ち込んだところも、見たことはない。
 笑顔ばかり品ぞろえが豊富な佐伯先輩は、向かうところ敵なしの完璧人間に思えてしまう。
 彼自身に断る理由を見つけるのは、とても大変そうだ。

「それに、人付き合いは結局のところ相性だしね。
 俺は篠塚と話してると楽しいし、篠塚との相性は最高だと思ってるけど。篠塚から見てどうなのかはわからない」

 佐伯先輩の言葉に、私はどう反応すればいいのか困ってしまった。
 相性は、決して悪くはないんだろうとは思う。
 佐伯先輩と話しているのは純粋に楽しい。
 ほとんど私が聞き手に回っているけれど、先輩は話し上手なだけでなく、私の言葉を引き出すのも上手だ。
 一緒に下校することを強く拒否できないのは、彼との時間を心地よく感じている自分がいるから。
 でも、そんなことを素直に口にすれば、きっと期待させてしまう。
 彼の気持ちに応える気がないなら、無責任なことは言うべきではない。

「……嫌いじゃ、ないです」
「よかった」

 悩んだ末に選んだ言葉は、無難なものだった。
 それでも佐伯先輩はほっとしたように表情をゆるめた。
 佐伯先輩は好意を隠さない。
 言葉で、表情で、全身で伝えてくる。
 そのたびに私は、どうしたらいいのかわからなくなる。

「でも、口説かれるのは、困ります」

 思いをそのまま告げると、佐伯先輩は眉尻を下げて情けない顔になった。

「それは俺も困ったな。
 少しくらいはうれしいと思ってもらいたいものなんだけど」
「そんなの……」

 無意識に口をついて出そうになった言葉を、私は飲み込む。
 うれしくない、というわけじゃない。
 誰だって好意を向けられればうれしいものだと思う。
 それが、自分も好ましく思っている人からなら、なおのこと。
 佐伯先輩の愛情表現はとてもストレートで、わかりやすい。
 甘い言葉には悲鳴を上げたくなるけれど、嫌というわけではない。

 ただ、うれしい気持ちよりも、困惑のほうがずっと大きくて。
 どうすればいいんだろう、とそればかりが頭を回る。
 佐伯先輩の想いは、私には甘ったるすぎて。
 ちゃんと飲み下すことができずにいる。



 告白されて、それからの先輩と私は、甘くて少しほろ苦い、そんな日々を過ごしていた。



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